田潮八幡神社の水浴び御輿(丸亀市)

2001年10月22日

勇壮な禊(みそぎ)先祖に感謝

豪快に水しぶきを上げて暴れ回る神輿。雨の中両岸で見守る見物客からは拍手喝采が沸き起こった=丸亀市土器町
豪快に水しぶきを上げて暴れ回る神輿。雨の中両岸で見守る見物客からは拍手喝采が沸き起こった=丸亀市土器町

 讃岐の秋も深まってきた。今年も豊作に感謝しようと、あちこちの神社でにぎやかに祭りが繰り広げられている。神輿(みこし)に獅子舞、ちょうさに奴(やつこ)。祭りを華やかに彩るものは数あれど、クライマックスに水しぶきが上がるものはそう見られない。

 丸亀市を流れる一級河川の土器川。これを見下ろす青野山のふもとに田潮八幡神社はある。毎年十月の第三土、日曜に営まれる例大祭の呼び物となっているのが「水浴び神輿」だ。白装束の男衆に担がれた神輿が大暴れしながら水中を渡る光景は勇壮そのもの。川の両岸が見物人でびっしり埋まる。

 なぜ水に入るのか。人間にせよ神輿にせよ、祭りの際に水に漬かるのは禊(みそぎ)の意味があると考えるのが普通。しかしそれは式の前に行うのでは。海岸地方の祭りで人が乗り込む太鼓台が海に入るのはある。しかし神輿そのものが水の中で暴れるとなるとあまり聞かない。あれこれ考えながら川の周辺を歩いた。

古式にのっとりしめやかに営まれる神事。この後神輿が土器川に向けて出発する
古式にのっとりしめやかに営まれる神事。この後神輿が土器川に向けて出発する

 昔から土器八幡として親しまれていた田潮八幡。名前にまつわるこんな言い伝えが残っていた。

 南北朝時代の貞治元(一三六二)年、南朝方の細川清氏と北朝方の細川頼之が従兄弟(いとこ)の間柄でありながら争うことに。夜襲を受けた頼之は出陣の際に同八幡宮に勝利を祈願、すると海の潮が満ちて田野を没し、敵の追撃を阻んだ。これをきっかけに田潮神社と名付けられ、故事にあやかり水浴びが始まったという。

 「ここの神輿は川に入るんぞと祖父も言っていたけど、さて、そのきっかけは何じゃろ」と朝田道孝宮司(74)。近所のお年寄りも「昔からやっとったけんなあ」「頼之さんにまつわるのは知っとるけど」と頭をひねる。

約20年前の水浴び神輿。「当時は五穀豊穣を祈ったが、今では交通安全かな」と朝田宮司
約20年前の水浴び神輿。「当時は五穀豊穣を祈ったが、今では交通安全かな」と朝田宮司

 秋田の白瀑(しらたき)神社にあるのは水浴びならぬ「滝浴び神輿」。神輿が町内を練り歩いた後、神社の裏手にある白瀑の滝壺に入り、五穀豊穣(ほうじよう)などを祈願するのだが、やはり禊の意味があるという。湯立神楽で有名な郡家町の神野(かんの)神社でも、昔はお旅所に行く途中にあった濠(ほり)で神輿を水浴びさせていた。金倉川近くの中津神社でも神輿の川入りが残っている。各地の風習をつなぐものがきっとあるはずだ。

 そうこうしているうちに、祭りも本番。二十一日、神事に続いて午後二時半には子ども山車や大小太鼓台などに導かれて神輿が出発。約二時間かけてたどり着いた川の中では、男衆に担がれた神輿が水中で一回転したり、高々と差し上げられたり。胸まで来る水の中で暴れ回る神輿に、見物人からは拍手喝采(かつさい)が沸き起こる。「お祭りは先祖に感謝するもの。その気持ちを大切にしながら、皆が愉快にやればいいんですよ」。宮司さんの一言がすべてを包み込んでいた。

 今年の例大祭も無事終了したが、残ってしまったのがなぜ水に入るのかという簡潔かつ奥深き謎(なぞ)。このまま水には流せない。

文・村川 信佐(観音寺支局) 写真・鏡原 伸生(写真部)