お頭人さん(金刀比羅宮)

2001年10月8日

神を導く4人の笑顔

 コンコンチキチ、コンチキチ―。

 秋の深まりとともに、讃岐路のそこここから鉦(かね)や太鼓の音が響いてくる。氏神様に豊穣(ほうじよう)を感謝し、祝う祭りの季節。中でもその代表格が「こんぴらさん」の例大祭。

ことし、大神様を先導するのはこの4人。左から松原朱里ちゃん、伊藤功資君、横峰圭保ちゃん、萩原光一君。かつては男頭人なら8歳以上15歳以下、女頭人なら7歳以上14歳以下と決まっていた
ことし、大神様を先導するのはこの4人。左から松原朱里ちゃん、伊藤功資君、横峰圭保ちゃん、萩原光一君。かつては男頭人なら8歳以上15歳以下、女頭人なら7歳以上14歳以下と決まっていた

 讃岐・金刀比羅宮の例大祭は毎年十月九、十、十一日。特に十日夜の御輿(みこし)渡御(お下がり)は、約五百人が一キロにわたって繰り広げる平安絵巻さながらの大行列。この日、大神様は本宮から約二キロ離れた麓(ふもと)のお旅所へと、ゆるり、ゆるりとおいで遊ばす。琴平の町を年に一度、ご覧に下りてこられる大神様は私たち以上に、さぞ、この日を心待ちにされていることだろう。

 大神様は大観衆の中を、「お頭人(とうにん)さん」と呼ばれる乗馬の幼い男の子二人とお駕籠(かご)の女の子二人に導かれておいでになる。だから、このお下がりを地元の人は「お頭人さん」と親しみを込めて呼んでいるのだという。

 邪心のない、純な子どもたちだからこそ、神を導く資格があるという同宮ならではのしきたり。神に最も近い存在として、例大祭の神事一切をお頭人さんが司(つかさど)る。祭りのときばかりは宮司をはじめ、神職たちはお頭人さんを補佐する脇(わき)役に徹する。

昭和43年の祝舎は田園の中にポツンと建つ。かつては頭屋が祝舎を建てていたが、40年代半ばごろから、金刀比羅宮直営で建設するようになった(金刀比羅宮提供)
昭和43年の祝舎は田園の中にポツンと建つ。かつては頭屋が祝舎を建てていたが、40年代半ばごろから、金刀比羅宮直営で建設するようになった(金刀比羅宮提供)

 意外に知られていないが、実際の祭りは八月三十一日の「口明(くちあけ)神事」に始まり、十月十五日の「焼払(やきはらい)神事」まで都合四十六日間にわたる長丁場。九月一日にはお頭人さんが祭りにご奉仕するために身を清める「祝舎(いわいや)」と呼ばれる建物の建設が始まり、八日から一カ月に及ぶ“おこもり生活”がスタートする。

 一六〇三(慶長八)年からの記録が残る由緒あるお頭人さん。かつては象頭山の麓の四条、五条、榎井、苗田の四カ村の子どもたちから選ばれていたが、昭和四十年代半ばからは祝舎の建設やお頭人さん選びなど同宮が“直営”で取り仕切るようになった。いまでは全国からお頭人さんを公募。おこもり生活もなく、神事のときに集まるのみで、そのしきたりは時代とともに変化している。

 「学校があったり、家族の協力も不可欠。核家族化、少子化の影響もあって、なかなか(ご奉仕を)決断できない家族が多いよう。昨年から十日が祝日でなくなったのも大きい。ただ、一生に一度の名誉。こんぴらさんのご加護を受けて、これから生きていくことになるんですから、みなさんから『やってよかった』と喜ばれています」

祝舎神事の中でも格式の高い指合(さしあわせ)神事。神事の後、神職、頭人らが一緒に「七膳片箸」(ひちぜんかたはし)と呼ばれる食事(うどん、卵豆腐、あんころもち、雑炊、団子吸い物、魚吸い物、甘酒に箸1本)をいただく=琴平町、金刀比羅宮神事場
祝舎神事の中でも格式の高い指合(さしあわせ)神事。神事の後、神職、頭人らが一緒に「七膳片箸」(ひちぜんかたはし)と呼ばれる食事(うどん、卵豆腐、あんころもち、雑炊、団子吸い物、魚吸い物、甘酒に箸1本)をいただく=琴平町、金刀比羅宮神事場

 一九二五(大正十四)年にお頭人さんとして、ご奉仕し、現在は金刀比羅宮氏子崇敬者総代を務める琴平町の塩田尚文さん(78)は、こう話す。塩田家からは外孫も含め三人のお頭人さんを出している。「お馬に乗りたい」「お駕籠に乗ってきれいな着物を着てみたい」。きっかけは子どもらしくて単純。

 五年前、お頭人さんとしてご奉仕した人たちの親睦(しんぼく)団体「頭人会」が発足したばかり。子どもたちが集まりやすい夏休みの一日を選んで年に一度の“同窓会”を楽しんでいる。塩田さんはその世話役も引き受ける。

 ことしの祭りの主役は、大川町富田東の萩原光一君(8つ)、綾南町滝宮の横峰圭保ちゃん(6つ)、高松市番町の松原朱里ちゃん(4つ)、徳島県小松島市の伊藤功資君(7つ)。あどけない笑顔に導かれ、大神様がおいでになる。

文・山下 和彦(生活文化部) 写真・山崎 義浩(写真部)