さぬき豊浜ちょうさ祭り(豊浜町)

2000年10月16日

観衆酔わす担き競べ

 「ドン、デン、ドン。ドン、デン、ドン」。秋風に乗ってキンモクセイの香りが豊浜町内に漂い始めると、勇壮で華やかな「さぬき豊浜ちょうさ祭」の季節がやってくる。

 「ちょうちんに明かりがともった太鼓台があぜ道を練り歩く様子を見ると、思わず涙が出る」という地元の人の言葉をかつて聞いたことがある。

金糸の刺しゅうで飾られたちょうさが威勢のよい掛け声とともに境内を駆け巡り、華麗さと力強さを競う=豊浜町和田浜、豊浜八幡神社
金糸の刺しゅうで飾られたちょうさが威勢のよい掛け声とともに境内を駆け巡り、華麗さと力強さを競う=豊浜町和田浜、豊浜八幡神社

 この地域では太鼓台を愛情こめて「ちょうさ」と呼ぶ。

 十月十三日から三日間にわたって繰り広げられる祭りのために一年間働くといわれるほど、住民にとって、この祭りの意味合いは深い。この時期、他の地域に移り住んだ多くの人たちも、懐かしさを求めて帰省する。

 太鼓台は、県内全域で秋祭りに彩りを添えているが、西讃全域では、他の地域に比べて太鼓台の規模が大きく、きらびやかだ。同町の前助役、太田徳治さん(71)は「豊浜のちょうさは高さが五メートルを超え、全国的にも最大規模ではないか」という。

 豊浜町は約一万人の町で、二十七の自治会があり、ちょうさを二十三台保有している。人数も少なく、一つの自治会でちょうさを保有できない自治会は、共同で保有し、祭りに参加する。

 「現在、新調すると六千万円以上かかるが、それでもさらに一、二台新調する計画がある。それだけ、ちょうさは豊浜町民にとって特別な存在だ」と太田さんは話す。

 現在のような、けんらん豪華なちょうさになったのは、明治二十年以降といわれている。同町のちょうさは、太鼓台の屋根の先に、「とんぼ」と呼ばれる赤色の結び目が付く。その下に「七重(しちじよう)」と呼ばれる七段重ねの赤色の布団が据え付けられている。

 また、金糸銀糸で竜やトラなどを刺しゅうした一片が一・五メートルほどある掛け布団は、かつては他の地域の太鼓台と同様に四方を飾っていたが、現在は前後の二枚になっている。道路が狭く通行に不便なためとされる。

 祭りの初日は、氏参りが中心。午後三時ごろ、豊浜八幡神社に次々と幕や掛け布団で着飾ったちょうさが集まる。本殿前に、ちょうさを据えた若衆が拝殿に上がり、祭りの安全祈願、そのあと町内を巡行する。

 十四日は午後二時ごろ、二十三台のちょうさが神社を巡行しながら集結し、本殿をぐるぐる回る。夜は百個余りのちょうちんが取り付けられたちょうさが、町内の各地で風情あふれる音と光のパレードをする。

ちょうさの部位名称
ちょうさの部位名称

 十五日は、船渡御を終えた三体の御輿(みこし)が一宮神社に着いた午後三時半過ぎ、同神社に集結していたちょうさが一宮公園に五台ずつ出る。台車をはずし、約二トンのちょうさを百人余りの法被姿の若衆が担(か)き競(くら)べを開始、いよいよ祭りのクライマックスを迎える。力感あふれる競演に観衆も酔いしれる。

 豊浜町で「さぬき豊浜ちょうさ祭」と、呼ぶようになったのは意外に新しく、昭和六十三、四年ごろから。ふるさと創生の一環として、地方色豊かな祭りを全国に売り出そうという試みだった。そのかいあって、三日間で約二万人だった見物客が今では、七万人に膨れ上がった。

 同町で今年十月初旬、町観光協会が発足した。観光のメーンに据えられるのはやはり、ちょうさ祭だという。「町民のロマンをもっとアピールしていきたい」と太田さんは言い切った。

文・木下 亨(地方部) 写真・久保 秀樹(写真部)