百々手(ももて)祭り(県内一円)

2000年3月6日

守れるか男子の聖域

真剣なまなざしで狙いを定める児童たち。栄えある射手は「男子の役割」だ=大野原町五郷井関の瀧宮神社
真剣なまなざしで狙いを定める児童たち。栄えある射手は「男子の役割」だ=大野原町五郷井関の瀧宮神社

 裃(かみしも)姿もりりしい子供の射手が正面の的に向かって弓を構える。高まっていく緊張感。「ピュン」。弦(つる)が矢を弾(はじ)く鋭い音が張りつめた空気を切り裂く。厄払い、悪鬼退散、五穀豊穣(ほうじよう)、豊漁…さまざまな願いを乗せた矢が、凶事に見立てた的のカワラケ目掛けて飛んでいった。

 西讃地方を中心に県内のほぼ全域で営まれる百々手祭り。計二百本の矢を射るが、二本を一手とみなすことから「百々手」の名がついたとされる。地域によって祈願の内容、射手が大人か子供かなどの違いはあるものの、古里に春を告げる伝統の神事として古くから知られ、詫間町生里(なまり)地区の祭りは、県の無形民俗文化財に指定されている。

 大野原町の神社で営まれる百々手祭りは、児童が射手を務めることが多い。大野原八幡宮(柘植宗尚(つげむねひさ)宮司)もその一つ。各自治会から選ばれた約三十人の男子が、栄えある射手となる。

昭和50年ごろの大野原八幡宮の百々手祭り。子供が多かった当時、射手の選抜は高倍率だった(「大野原町百年の歩み」より)
昭和50年ごろの大野原八幡宮の百々手祭り。子供が多かった当時、射手の選抜は高倍率だった(「大野原町百年の歩み」より)

 「私たちが子供のころは競争率が高くてね」と柘植さん。地域が子供の声であふれていた時代、射手に選ばれた子供はちょっとしたヒーローだった。「お宮の子は別と言われて…」。宮司自身も落選している。

 時は流れた。声高に「少子化」が叫ばれる今、百々手を取り巻く状況は一変した。当然、射手を揃(そろ)えるのにも一(ひと)苦労。高い競争率は過去のものとなった。

 この日の舞台は五郷井関(いせき)の瀧宮(たきのみや)神社。事前の打ち合わせでは、子供が少ないことを理由に「女子も入れてみては」との意見が出た。しかし、同神社の宮司を兼ねる柘植さんは頑として首を縦に振らなかった。「神事は数合わせではない。射手は男子の役割」。揺るぎない信念を貫き通した。

 「平等主義という概念自体に反対するつもりはないが…」。柘植さんが大事にしたいものは、守るべきことは守るという伝統の心。「百々手はあくまで神事であって、単なるイベントではない。価値が低下すると存在意義も低下し、淘汰(とうた)されてしまう」と危ぐする。

 厄払いで知られる詫間町生里の百々手では、遠方に住んでいても帰省して参加する人が多いという。脈々と受け継がれてきた伝統の重みが、人々の足を古里へ向けさせるのだろう。

詫間町生里地区の百々手祭りは、男たちによるユニークな踊りも見所のひとつだ=詫間町生里、三宝荒神宮(資料)
詫間町生里地区の百々手祭りは、男たちによるユニークな踊りも見所のひとつだ=詫間町生里、三宝荒神宮(資料)

 格式、礼儀作法、秩序、男子の役割。言葉にすると少し堅苦しいイメージはぬぐえない。だが、時代の流れにあらがってでも、伝えなければならないことはある。それが今を生きる私たちの役割だと、柘植さんは信じている。「体裁の中にこそ本質がある。射手は男子。私の目の黒いうちは譲らないよ」。

 まっすぐ放たれた矢が的のカワラケに見事命中すると、ひと際大きな太鼓の音が境内に響き渡る。弥生(やよい)三月、日一日と陽気に包まれていく。「早春賦(ふ)」。盛んに飛び交う拍手と歓声は、待ちこがれた春の訪れを祝う歓喜の歌でもある。

文・黒島 一樹(観音寺支局) 写真・久保 秀樹(写真部)