並み

仁尾の町並み(仁尾町)

2001年12月17日

歴史と風情たっぷり

 三方を山に、一方を海に囲まれた西讃の町仁尾には、自然があふれている。だが少し町の中に足を踏み入れると、歴史ある多くのお寺や昔ながらの風情を残した町並みに出会える。地元の方が作ってくれた地図を見ながら行きましょう。

江戸時代末期の仁尾の主な商家地図
江戸時代末期の仁尾の主な商家地図

 海の向こうに蔦(つた)島を望む仁尾港は、古くから天然の良港。戦国時代には、讃岐守護細川頼弘の仁尾城(現覚城院)の城下町として急速に発展した。「当時、この狭い町内で二十五のお寺がありました。たいそう豊かな経済基盤だったんでしょう」と町文化財保護協会の河田七五三一会長(82)は話す。仁尾が寺町とも呼ばれるゆえんだ。確かに立派なお寺の多さに驚かされる。

 戦乱期には一度衰退したが、江戸に入ってから塩や米の積み出し港として再び活気を取り戻した。海産物や酒、醤油(しょうゆ)、酢など物資が豊富にそろった港町には「仁尾買いもん」と呼ばれるほど人々があふれた。大勢が近くの村から山を越え、生活に必要な品々を買いに来た。まさに西讃の商工業の中心地。

 そんな仁尾をさらに繁栄させたのが、土佐で生産された「碁石(ごいし)茶」。土佐藩の参勤交代が仁尾から船を出すようになった機会にこのお茶を購入し、販売し始めた。「蒸して飲むお茶で、ものすごく売れたんです」。幕末にはほとんどの大店(だな)がこの茶の販売を兼業していた。河田さん宅にはまだ残っており、一杯いただけた。紅茶のような味だった。

「なかんちょ」と呼ばれる中ノ丁の路地は、かつて大勢の買い物客でにぎわった。今でも下町の風情が残る=仁尾町仁尾
「なかんちょ」と呼ばれる中ノ丁の路地は、かつて大勢の買い物客でにぎわった。今でも下町の風情が残る=仁尾町仁尾

 県道21号の旧役場跡地から東に入ると、「なかんちょ」と呼ばれる中ノ丁の路地がある。昔の商店街は、細くて狭くて曲がってて、それでいて両側の商家はどっしりと構えている。石積みと白壁の築地(ついじ)塀、白の漆喰(しっくい)、なまこ壁。何とも味わい深い風景が続く。「辻(つじ)の札場」はお触れなどを張り出した札場。近くには庄屋さんがあり、多くの店が集まり、商いや買い物をする人たちでにぎわっていたところだ。札場の原型が残っているのは全国でも非常に珍しいという。

 かつての豪商は今では一割くらいしか残っておらず、空き家も多い。しかしそれなりの町としてしっかりたたずんでいる。ところどころに建つ新しい家も、板塀や小庇(ひさし)を施しているのが多い。特に景観保護条例などがあるわけではないが、昔の風情を残そうという心遣いが今でも町の中に息づいているようだ。

町のあちこちに見える古い屋根。庭木にも貫禄がある。奥に見えるのは覚城院
町のあちこちに見える古い屋根。庭木にも貫禄がある。奥に見えるのは覚城院

 町を歩いたのはよく晴れたお昼時。行き交う人は確かに少ない。こんなに時間が止まった感覚はそう味わえない。あちこちに乳母車を押したおばあちゃん。「物は少ないけれど、住みやすい町やと思うよ」。ぽかぽかした日差しを浴びながら話してくれた。

 城下町、寺町、港町―。数百年の歴史が閉じこめられた西讃の小京都、仁尾。究極の「町ブラ」を楽しめる空間なのかもしれない。一度や二度の迷い道くねくね、それもまた楽し。

文・村川 信佐(観音寺支局) 写真・久保 秀樹(写真部)