並み

蔵のある街並み(引田町)

2000年12月4日

「オカ」の文化を象徴

 播磨灘に面する讃岐の最も東に位置する町、引田は、古くから、風待ちの良港として知られる。大阪などが近いとあって、江戸時代になると讃岐の財政を支えた塩、砂糖、綿の讃岐三白をはじめとする荷を運ぶ船でにぎわった。

赤く塗られた醤油蔵が目を引く醸造元。昔ながらの懐かしい醤油のにおいが町内を優しく包む
赤く塗られた醤油蔵が目を引く醸造元。昔ながらの懐かしい醤油のにおいが町内を優しく包む

 JR引田駅から国道11号を越えて、海に面するわずか一キロ四方の狭い路地をそぞろ歩く。そこには、問屋、商家、庄屋、醤油(しようゆ)蔵、郵便局の旧庁舎など、江戸時代末から明治初期の往時の面影を集約した建物が、ひっそりと残る。

 同町文化財保護審議委員会長の池田米太郎さん(80)らによると、この狭い地域に住む人々は、海辺に展開する「ハマ」と呼ばれる漁業コミュニティーと商業などのコミュニティーの「オカ」に分かれて、生活を営んできた。

 それらのコミュニティーは、背中合わせに人家が接しているとはいえ、互いの交流は少なく、その中心地にある誉田八幡宮の大祭を守るということで融合してきたという。

 蔵のある古い街並みを形成しているのが、「オカ」の文化であり、それらの代表が、旧庄屋と二つの醤油製造大商家のいわゆる御三家だ。

 こうした地域も、時代の波に押され、若者らは離れ、住む人のない民家は、白壁が崩れ落ちたり、壊れたり、殺風景なアスファルトの駐車場に変ぼうするなど、二十年あまりで随分と荒れ果ててきたという。財政難などから、町も街並み保存に積極的ではなかった。

 そうした厳しい実情の中、伝統の風景を今に保っているのが、御三家の一つで、創業が宝暦三年(一七五三年)の、かめびし醤油だ。

 入り組んだ路地を抜ける辺りで、紅殻を壁一面に塗り込めた真っ赤な醤油蔵がひときわ目を引く。建物の外観の赤色は、同店のイメージカラーで、四十年ほど前に白壁を赤く塗り替えた。この赤色は、商品のラベルなどにも使用している。

 同店の十七代当主を目指し修業中の田中佳苗さん(33)は「古い家を自らの力で維持するのは並大抵でないが、そのチャンスがだれにでも与えられるものでないと感じ、がんばっている」と言い切る。

毎年10月、誉田八幡宮の大祭で繰り広げられる名物の投げ奴(やっこ)。投げ奴には江戸情緒を残す蔵のある街並みが似合う=平成3年撮影
毎年10月、誉田八幡宮の大祭で繰り広げられる名物の投げ奴(やっこ)。投げ奴には江戸情緒を残す蔵のある街並みが似合う=平成3年撮影

 醤油造りの端境期の夏場に毎年、材料などを工夫しながら、傷んだ壁や庭などを総出で修復し、創業当時の風情を伝えている。

 同店では十月下旬、引田の良さを内外の人たちに知ってもらおう、と醤油蔵で「能に親しむ秋の会」を初めて開催した。

 醤油蔵を改修した部屋に、ろうそく、スポット照明のみの特設舞台を設置。十六代当主・岡田国義さん(59)の友人の観世流能楽師が能舞台を披露し、約二百人の県内外の来場者が幽玄の世界に酔いしれた。

地図

 「地域以外の人たちが、何も手が加わっていない素晴らしい街並みだといってくれた」と田中さん。「このイベントが起爆剤になって、もっとみんなが協力して、貴重な財産を何とか保護しようという機運が出てくれば」と語気を強めた。

文・木下 亨(地方部) 写真・山崎 義浩(写真部)