並み

連子窓のある町(宇多津町)

2000年2月28日

寺社に通じる細い道

 宇多津町は、南北五・八キロ、東西三・四キロの小さい町。この中に、室町時代初頭の細川頼之の城下町として栄えてきた面影を残す古い町並みと、塩田跡地が開発され生まれ変わった都市という両方の顔を持つ。

細い路地が残る古い町並みで遊ぶ子供たち=宇多津町
細い路地が残る古い町並みで遊ぶ子供たち=宇多津町

 古い町並みの旧町は、町役場の南側一帯で青山に広がる約一キロ四方。くねくねした道を歩くと、連子(れんじ)窓といわれる窓に木の桟を取り付けた、江戸時代後期の家々が路地に沿ってぽつぽつと建つ。学校帰りのチビっ子たちが、ボール遊びをする姿も何となくノスタルジックに映る。

 この辺りの道幅は、二メートルから四メートル前後で、約二百メートルごとにかぎ型に曲がっている。すべての道は、郷照寺など一神社九カ寺に通じるようになっている。

 地元の郷土史家、磯野実さん(77)は、「細川公の軍事戦略上、寺は戦の際の重要拠点で、そのため全部の道がつながっている」と指摘。「くねくねした道は、敵に悟られず逆に相手の姿がよく見える構造になっている。こういう町並みは非常に珍しい」という。

 これらの町並みは、明治三十一年の町制施行以来、行政の手がほとんど入っておらず、太平洋戦争の戦火にも遭遇しなかったため、現在でも道路の構造や道幅は昔のままだ。

連子窓の中からながめる風景=宇多津町
連子窓の中からながめる風景=宇多津町

 路地の風景は同じでも、連子窓のある民家は十数年前から徐々に取り壊されて、新しい家も建築されている。空き家になっているところもある。

 「折しも瀬戸大橋時代に突入。車の駐車場を確保するために、連子窓の家を取り壊し、道沿いのスペースを開けた建物に建て替える家が増えてきたためだ」とこの旧町に住み、祖父の代から建築業を営む一級建築士の三浦数一さん(80)。

 「連子窓は、風通しがよく、内部は見えず、逆に家内から外がのぞける、という昔の人の知恵が生かされている。その半面、冷暖房などの空調設備の普及で、昔の家は敬遠され、プライバシーを重んじる現代建築に目が向けられるようになった」と家々の変化を分析。

 「しかし、太鼓台が暴れ回る祭りの風景が映える昔の家は、やっぱり保存してほしい」とも話す。

新旧の町が混在する宇多津町
新旧の町が混在する宇多津町

 核家族化に伴い、若者の中には、旧町を出て新宇多津都市のマンションに住んだり、同所に新築したりするケースが年々増加している。そのため、旧町は高齢者、新都市は若者が住む町という構造が定着してきた。

 町長の米沢正文さん(64)は「山のふもとに広がる旧町は、狭い道のため車が通りにくいが、それが逆に幸いして寺の鐘が響く物静かな風情があって、観光スポットにもなる。新都市へ訪れる人、寺社への参拝者にもじっくり散策してほしい」と古い町並みの魅力をアピールした。

文・木下 亨(生活文化部) 写真・鏡原 伸生(写真部)