並み

長尾寺門前の町並み(長尾町)

1999年11月22日

消えていく江戸情緒

 正月二日。長尾町の長尾寺で、そろいの法被に身を包んだ男たちが力強く杵(きね)を振るった。石臼(いしうす)を囲み、優雅な三味線の音に合わせて「ペッタン、ペッタン」とつく三本杵の妙技。大勢の善男善女が見守る中、威勢のいい掛け声が境内に響いた。明治時代から続く伝統行事「三味線もちつき」のひとこまだ。

三味線の音色に合わせ、法被姿の男性たちが力強く杵を振るう「三味線もちつき」。明治時代から続く新春恒例の伝統行事だ=長尾寺
三味線の音色に合わせ、法被姿の男性たちが力強く杵を振るう「三味線もちつき」。明治時代から続く新春恒例の伝統行事だ=長尾寺

 長尾寺は四国霊場八十七番札所。その山門の前を東西に延びる旧長尾街道は往時、門前町として栄えた。明治時代には宿屋が十数軒もあり宿場町としてもにぎわったという。新春ムードを盛り上げる三味線の音色を後に門前町通りを歩くと、今風の住宅や商店が建ち並んでいる。

 「昭和二十年ごろまで、この通りに多くの人々が集まった。映画館やサーカスなどがあり、人出であふれていた。だが、時の流れとともにそのにぎわいも消えていった」。長尾町の地域史研究家、藤井洋一さん(68)は、当時の繁栄を振り返る。

 戦後、日本は物質的豊かさを追い求めた。高度経済成長という大きな変革の波は、日常生活を大きく変えた。ざん新なデザインの住宅が建ち、自動車の普及に伴う交通網の発達は、沿線の風景を一変させた。

 門前町も例外ではない。郊外型の大規模店の進出などで、通りの活気は分散。商家は住宅に変わり、木造から耐久性のある鉄筋建てが主流となった。町並みから温もりと情緒が薄れた。

 しかし、注意深く散策すると古い建物が所々に残っている。中でも存在をアピールするのが、江戸末期に建てられ、終戦直後まで営業していた「造り酒屋」。本瓦(かわら)ぶきに鮮やかな黒壁、連子窓(れんじまど)の外観がまるでタイムスリップしたかのように江戸の薫りを今も漂わせている。

本瓦ぶきに鮮やかな黒壁が映える「造り酒屋」。時代とともに姿を変えてきた長尾寺門前の町並みだが、昔ながらの風情を醸す外観がひと際目を引く=長尾町西
本瓦ぶきに鮮やかな黒壁が映える「造り酒屋」。時代とともに姿を変えてきた長尾寺門前の町並みだが、昔ながらの風情を醸す外観がひと際目を引く=長尾町西

 造り酒屋の主、間島礼次郎さん(84)は「時代の流れ」と前置きした上で話す。「古い建物は、なんともいえない趣がある。だが、老朽化による修理代はかさむ一方。建て替えるのも世の常だろう」。残したいけど残しにくい実情が垣間見える。

 宿屋も今では三軒だけとなった。その一つ、旅館「やなぎや」を一人で切り盛りしている安松ひとみさん(48)は、「映画館もあって、子供のころから慣れ親しんだこの門前町に愛着がある。それだけに経営は厳しいが、歩き遍路さんらが利用してくれる限り、続けていきたい」と話す。が、よく出掛けたその映画館も十年ほど前に姿を消した。

 近代化とともに、消えゆく古き良き讃岐の面影。が、最近、その流れに抗(あらが)う一つの動きがあった。通りの東端にある井戸「柳の清水」の史跡化だ。

地元住民の熱意が実を結び、再現された「柳の清水」=長尾町東
地元住民の熱意が実を結び、再現された「柳の清水」=長尾町東

 この泉は、長年地域に親しまれてきた名水。河川改修工事のため、十年末に撤去された。が、保存を求める住民の声が強まり、先ごろ、川のほとりに、かつての「柳の清水」をそのまま再現した小公園が完成した。

 「豊かさとは何か」―。“癒(いや)しの泉”の復活は、こんな難問にお接待の心が息づく門前町が出した小さな回答かもしれない。

文・藤田 敦士(生活文化部) 写真・鏡原 伸生(写真部)