並み

ガソリン道(塩江町―高松市仏生山町)

1999年11月22日

夢の跡“癒しの道”に

 紅葉し始めた香東川べりの道。リュックを背にした家族連れらがマイペースで歩く。巨岩を見下ろす橋を渡り、トンネルをくぐり、川中にそびえる巨大な構造物に歓声を上げる。恒例となった塩江温泉郷をめざす健脚大会のひとこまだ。

ガソリンカーが走ったトンネルや軌道跡を行くハイカー。ガソリン道に何かを求めて歩いたり走ったりする姿は、年々増えている=塩江町安原下
ガソリンカーが走ったトンネルや軌道跡を行くハイカー。ガソリン道に何かを求めて歩いたり走ったりする姿は、年々増えている=塩江町安原下

 巨大な構造物とは戦前の一時期、塩江温泉と仏生山の間を鉄路でつないだガソリンカーの橋脚群。トンネルや道も鉄道の名残だが、そうと知る人は少ない。ただ、香川町内の軌道跡を利用した「ガソリン道」と呼ばれる町道と、その生活道としてのにぎわいが、わずかに往時をしのばせている。

 ガソリンカー。正式名称は塩江温泉鉄道。昭和四年十一月、香川郡仏生山町(現高松市仏生山町)から塩江村(現塩江町安原上東)まで約十六キロで営業を始めた。ガソリンエンジンを積んだ四十人乗りの小さな車体は、「マッチ箱」と呼ばれ、親しまれた。昭和十三年、琴平電鉄に吸収合併され、同十六年には戦時統制下のガソリン不足で廃業した。

姿形から「マッチ箱」と呼ばれ、親しまれたガソリンカー=写真は塩江町、藤沢範久さん所蔵
姿形から「マッチ箱」と呼ばれ、親しまれたガソリンカー=写真は塩江町、藤沢範久さん所蔵

 「栗林公園の花見や石清尾(いわせお)八幡の秋祭り。ぽんぽん下駄を買ってもらい、ガッタタン、ガッタタン揺られて帰るうちに眠り込み、岩部の駅辺りで目を覚ます。トンネルを抜けると絶景が広がったのが幼心に“銀河鉄道”に映った」と話すのは、塩江町出身でガソリンカーと同い年の赤松秀子さん(70)=香川町大野=。

 赤松さんによると、当時の塩江温泉のにぎわいは、専属の少女歌劇があり、温泉旅館では菊人形や花火大会、鵜飼(うか)いなどが催され、街はカフェ、映画館、円タクなどであふれていたという。

珍しいトンネル掘削工事の写真。工事現場は塩江町安原上=塩江町、相谷友彦さん所蔵
珍しいトンネル掘削工事の写真。工事現場は塩江町安原上=塩江町、相谷友彦さん所蔵

 廃線から五十八年。当時を語り継ぐ人たちが激減する一方で、若い新たな動きもある。ガソリンカーの歴史や当時の様子を記録しようと高校生たちが映画作りに取り組んだことだ。高松一高放送部の赤松卓朗君(16)ら五人による「塩江温泉鉄道―その軌跡をたどって」と題する作品だ。

 映像は、生き証人たちの証言を交えながら、トンネルや橋脚などを追う。「かつて一時代を築いたリゾートの大動脈が、戦争を経て、健脚大会や心安らぐ自転車道に変わった。軌道跡が新たな役割を担って再生していることを訴えたかった」と赤松君。

川中で夢の跡を静かに主張する橋脚。21世紀に残したい歴史の生き証人だ=塩江町安原下
川中で夢の跡を静かに主張する橋脚。21世紀に残したい歴史の生き証人だ=塩江町安原下

 “夢の跡”が“癒(いや)しの道”として、ひっそりと息づいているという、新鮮な指摘だ。

 香川町文化財保護審議会の小比賀勝美会長(74)は、「先人たちが地域の発展を願って造った遺産。たくさんの物語があり、伽羅土(からと)のトンネルも活用する形で残したい」と話す。

 かつての終点、塩江駅近くの軌道跡に立地する町立塩江美術館の藤沢秋義館長(71)は、夢物語と断りながら語る。

 「美術館建設時から橋脚やトンネルを使った遊歩道を造り“芸術の回廊”としたかった。樹齢数百年のウバヒガンやオオイチョウ、萩の名所最明寺(さいみょうじ)を結び、路傍に句碑や芸術家たちの作品を展示する」

路線図

 ガソリン道で週末を楽しむハイカー、日課のウオーキングをするお年寄り、自転車通学の中高校生…。静かに増え続ける彼らの姿は「癒しの道」構想が決して色あせていないことを裏付けている。

文・村川 信佐(観音寺支局) 写真・鏡原 伸生(写真部)