らし

金刀比羅宮と高橋由一(琴平町)

2002年3月25日

色褪せぬ明治の輝き

由一コレクションを常設展示するスペースに生まれ変わった金毘羅庶民信仰資料収蔵庫。全国屈指の由一ギャラリーの誕生だ
由一コレクションを常設展示するスペースに生まれ変わった金毘羅庶民信仰資料収蔵庫。全国屈指の由一ギャラリーの誕生だ

 本格的な桜の季節を前に、うれしい便りが舞い込んだ。金刀比羅宮(琴陵容世宮司)にある高橋由一(一八二八―九四年)の作品が、二〇〇四(平成十六)年の遷座祭を待たずに常設展示されたという。二十七点にも及ぶ由一コレクションが一堂に鑑賞できるのは、「全国でも金刀比羅宮だけ」だと、由一研究で知られる東京芸大教授・同大美術館長の歌田真介さん(67)は言う。

 歌田教授によると、同宮の由一コレクションは、いずれも教科書でなじみの深い「鮭」(一八七七年ごろ)が描かれた前後の作で、「由一最盛期」のものばかり。一八七六(明治九)年、工部美術学校に招聘(しょうへい)されたイタリア人教師アントニオ・フォンタネージから西洋画の技法を学んだ時期とも重なり、質量ともに充実した興味深い内容だ。

 だが、これまで同宮のコレクションは「知る人ぞ知る」存在でしかなかった。表参道から離れた学芸参考館でひっそりと展示されてきたからだ。

 それが、同宮が遷座祭に合わせて進めている「琴平山再生計画」に伴って、ひと足早く表参道脇の金毘羅庶民信仰資料収蔵庫での一般公開が実現した。

一般公開を前に開かれた内覧会。昨年、発見された「琴陵宥常像」をはじめ、同宮が所蔵する由一の作品27点がすべて収められた
一般公開を前に開かれた内覧会。昨年、発見された「琴陵宥常像」をはじめ、同宮が所蔵する由一の作品27点がすべて収められた

 再生計画は、同宮美術顧問でフランスのサン・ビゴール・ド・ミュー礼拝堂再生プロジェクトを手掛けた美術家・田窪恭治さん(53)を中心に推進。現社務所や宝物館、書院などを文化ゾーンとして、また、本宮近くに社務所を移し、周辺を社殿ゾーンとして一体的に整備する。

 一躍、同宮の由一が脚光を浴びたのはつい、昨年四月のこと。肖像画「琴陵宥常像(ことおかありつね)」の発見だった。

 なぜ、由一の作品がこんぴらさんにあるの…。誰もが抱く疑問に答えてくれたのは県文化会館の田口慶太学芸員だ。

 「一八七九(明治十二)年、同宮で開かれた琴平山博覧会は日本が万国博覧会に参加するための"国内版プレ万博"。それに由一は三十七点の作品を出品。博覧会後、それらの作品を奉納することを条件に二百円を受け取っています」

 由一と金刀比羅宮とのかかわりは、西洋画普及に意を注いだ由一が主宰する画塾「天絵社(てんかいしゃ)」へ、同宮から資金援助を得るためだった。翌八〇年十二月には由一が直接、同宮を訪問。今回、所在が確認された「宥常像」をはじめ、「琴平山遠望図」など七点をわずか四十一日の滞在期間中に描き上げた。援助を受けようとする由一の並々ならぬ熱意が伝わるエピソードでもある。

「琴平山遠望図」(1881年、油彩、金刀比羅宮提供)
琴平町苗田字中森付近から見た象頭山
「琴平山遠望図」(1881年、油彩、金刀比羅宮提供)(上)と同町苗田字中森付近から見た象頭山。「ここはかつての丸亀街道沿いで、参拝者が足を休めた藤棚や地元の画家・大原東野の屋敷があった場所」だと川田英夫さん。祖父の代から、由一の足跡が語り継がれているという

 由一の絵の特徴は、黒田清輝(一八六六―一九二四年)以降の自由な画風に対し、対象を忠実に写し取った点にある。ただ、日本人の物の見方を投影し、構図は浮世絵的。それに対して、絵の具はヨーロッパ古来の伝統的な使い方で、技法や画材へのこだわりがそこここに感じられると歌田教授は指摘する。

 「これまでどちらかといえば、美術工芸品の紹介には、あまり積極的ではなかった。今後はそれらの鑑賞や自然散策なども大いに楽しんでもらいたい」と琴陵宮司。百二十年の時を経て、いまなお、色褪(あ)せない由一コレクション。「本物志向」だった由一の筆遣いや息遣いが迫ってくるようだ。

 ■高橋由一作品展(常設) 24日から、金刀比羅宮表参道脇、宝物館横の金毘羅庶民信仰資料収蔵庫特別室で。開館は午前8時半から午後5時まで。観覧料一般300円。年中無休。

文・山下 和彦(生活文化部) 写真・山崎 義浩(写真部)