らし

渡し船(土庄町)

2001年11月26日

生活支える島民の足

 小豆島の北西約百十メートルの沖に浮かぶ沖之島。周囲二・八キロの小さな島には、現在二十二世帯、九十七人が住み、主に漁業で生計を立てている。冬になると、「ゲタ(シタビラメ)の天日干し」のすだれが軒先や港に並び、昔ながらの風情を醸し出している地域だ。

「瀬戸の花嫁」を乗せてゆっくりと航行する渡し船=土庄町小江沖(1996年10月27日撮影)
「瀬戸の花嫁」を乗せてゆっくりと航行する渡し船=土庄町小江沖(1996年10月27日撮影)

 沖之島と対岸の土庄町小江集落は目と鼻の先にありながら、「小江の瀬戸」「乾(いぬい)の瀬戸」などと呼ばれ、潮の流れが非常に速い海峡に隔てられている。

 漁師さんらは自分の船で島と島を往来しているが、子供やお年寄りが速い潮流でボートを操縦するのは危険で、はっきりした記録はないものの、太平洋戦争前から、渡し船(渡せ)が、島人の貴重な交通手段として使われている。

 数年前までは、渡し船に乗って花嫁さんが嫁いでいく姿も見られ、珍しさもあって「瀬戸の花嫁」として、テレビや新聞などでも紹介された。

 以前は、自治会が運営していたが、一九五四年から、「住民の足」確保のために町が運航している。自治会が運営していたころは、木造の手こぎ船だったが、現在の渡し船「うずしお2号」は発動機付きの船。

 しかし、全長は八メートル余りで定員十一人の小さな船には変わりなく、一日十四便から十八便運航され、二、三分で両岸を結んでいる。

夕日を浴びて海峡を進む渡し船。向こうは沖之島=土庄町小江沖
夕日を浴びて海峡を進む渡し船。向こうは沖之島=土庄町小江沖

 この島には、学校や日用品を扱う店などはない。午前七時半の始発便は、四海小学校や土庄中学校などへ通う児童、生徒らでいつもいっぱい。このあとは、病院へ通うお年寄りや、買い物に出かける主婦、釣り客らが一人ひとりと、乗り場にやって来る。

 「船頭を始めたころは、一人で三百六十五日対応。風邪をひいても薬を飲んで頑張った。台風の時は、早く帰らしてもらえるように学校に連絡するなどしたもんじゃ」とは、九四年まで十七年間にわたって船頭を務めた一田勢蔵さん(68)=同町小江=。

 「社会へ巣立った子供たちと久しぶりに渡しで顔を合わすと『おっちゃん元気なん』と声を掛けてくれた」と当時を振り返り、目を細める。

渡し船に乗り込む学校帰りの児童=土庄町小江
渡し船に乗り込む学校帰りの児童=土庄町小江

 沖之島の西方の海面を夕日がオレンジ色に輝かすころになると、学校帰りの子供たちを乗せた船が、ゆっくりと海峡を横切っていく。そして、岸に到着すると、みんな「ありがとう」と船頭さんにお礼を言って、船を下りていく。

 「この船に乗る人は知らん人がおらん。毎日が同じ繰り返しで、特に思い出もない」とは、この日の船頭さんの浜本兼正さん(65)=同所=。渡し船が往来する空間は、なぜか懐かしく、時間がゆっくりと流れている。

文・木下 亨(地方部) 写真・山崎 義浩(写真部)