らし

高松空襲と語り継ぐ活動(高松市)

2000年7月3日

“証人”求め、再び街へ

 「『聖戦』と教えられた戦争で、お年寄りや小さな子供がたくさん死ぬのを目にした。地球の歴史が始まってからこんなにひどいことはないと思った」。十二歳で空襲に遭った「8・15戦争体験を語りつぐ会」の喜田清さん(67)は、一夜にして千三百人余りの命を奪った高松空襲の語り部の一人だ。

空襲直後の高松市内。三越(中央)などコンクリート製の建物は辛うじて焼け残った=高松市平和記念室蔵(富永憲一氏撮影)
空襲直後の高松市内。三越(中央)などコンクリート製の建物は辛うじて焼け残った=高松市平和記念室蔵(富永憲一氏撮影)

 昭和二十年七月四日未明、高松市は米軍による空襲を受け、旧市内の八割が焦土と化した。記録によると、空襲は四日午前二時五十六分から同四時四十二分まで続き、百十六機の米軍機が高性能爆弾二十四トン、焼い弾八百九トンを市街地に投下。死者千二百四十人、行方不明者百十九人、全焼家屋一万八千五百五戸のすさまじい被害を受けた。

 同四十七年、喜田さんら三十歳―四十歳代の主婦、会社員、教員らでつくる「高松空襲を記録する会」が活動を開始。戦争体験の風化を食い止めようと高松空襲の被災者を訪ね歩き、千二百人余りの犠牲者の氏名をつき止めた。記録する会を母体に組織された語りつぐ会は、平成元年から「高松空襲跡を歩く」と題し、毎年七月四日前後に市内に残る戦前の建物などを巡る活動を行っている。

高松空襲跡マップ
高松空襲跡マップ

 しかし、活動の参加者は六十歳代以上の「体験者」が中心。赤山勇さん(63)は「若い世代をいかに活動へ巻き込んでいくかを模索しているのが事実」と打ち明ける。

 若い世代の参加のきっかけにしようと、今年は空襲跡を巡る地域を光洋中校区に定めた。学校へ参加を打診したほか、下見の際に、沿道の民家に参加を呼び掛けるビラ入れを行った。

 赤山さんは「『歩く』という実体験で得られるものは大きい。われわれの姿勢が子供たちにつながっていくと信じる」と力説する。

戦災跡を歩く市民ら。語りつぐ会では若い世代の参加を呼び掛けている=資料
戦災跡を歩く市民ら。語りつぐ会では若い世代の参加を呼び掛けている=資料

 赤山さんらは高松空襲の被災者を訪ね歩いた二十八年前の活動の原点に返り、毎月メンバー全員で旧市内を歩くことも計画している。「われわれが知らない焼け残った民家はまだたくさんある。人々の記憶の中に埋もれた戦争はなおさらだ」(赤山さん)。語り部たちの活動は新たな"証人"を探す出発点に再び立とうとしている。

 あす四日、高松は炎に包まれたあの日から五十五回目の夏を迎える。語りつぐ会は今年も市内に残る空襲の傷跡や戦火をくぐり抜けた建物を見て回る。午後六時、琴電沖松島駅前に集合。八百人以上の被災者の遺体が焼かれたといわれる火葬場跡から出発する。

文・靱 哲郎(報道部)