四つ足茶堂(琴南町)

2002年4月1日

阿讃つなぐ峠の証人

 琴南町の国道438号を南下し、徳島県三野町に至る峠の県道を行く。県道からやや外れた小さな橋のたもとに、寂しげなお堂がたたずむ。

峠越えの街道の休憩所だった四つ足茶堂。写真右上に街道が延びていたという(琴南町役場提供)
峠越えの街道の休憩所だった四つ足茶堂。写真右上に街道が延びていたという(琴南町役場提供)

 名前は「四つ足茶堂」という。

 お堂は六畳程度の広さで、傷んだ茅葺(かやぶ)きの屋根を青色のトタンで覆い、一見うらぶれた印象。しかし、祭っている地蔵は古い伝承が残り、讃岐と阿波をつなぐ峠の証人でもある。

 「笑い話みたいなんやけどな」。地元の下福家地区の竹地弘さん(80)が自ら笑いながら、町史の記述を交えて茶堂の出自を語ってくれた。

 昔、ある朝、お地蔵さんが道端に転げ落ちているのを村人が見つけた。大川山の神事場にあったはずの地蔵だ。村人は元の神事場にかつぎ上げたが、地蔵は翌朝また同じところに転がってきた。そこで村人は、その場所にお堂を建てて、地蔵を祭ることにした。

本尊は粉ひき地蔵。石うすが台座だから、地蔵がぐるぐる回るからなどと諸説ある
本尊は粉ひき地蔵。石うすが台座だから、地蔵がぐるぐる回るからなどと諸説ある

 ところで、茶堂のある辺りは、スモトリ坊主という妖怪(ようかい)が現れていた。人が通りかかると、妖怪は「スモウとらんか」としがみつく。相手をすれば、へとへとに負かされてしまう。しかし、地蔵を祭ってからは、妖怪は見られなくなった。

 四つ足茶堂はおとぎ話のような言い伝えのほかにも、かつての峠越えの交流を物語っている。

 「六十年余りも前までかな。馬や牛を木につないで、弁当を食べたり、お茶を飲む人を見た」とは竹地さん。

盆の供養に集まる住民。地元の歴史に思いをはせる(琴南町役場提供)
盆の供養に集まる住民。地元の歴史に思いをはせる(琴南町役場提供)

 琴南町を越えて香川と徳島を結んだ峠の道は、四国遍路や金毘羅参りの参拝者が通り抜け、借耕牛(かりこうし)をはじめ人と物資が行き交った。お堂は茶で一服し、疲れた足を休めるのにちょうどいい休憩所になった。

 茶堂の隣に住む上地サカヱさん(82)は、堂より徳島に近い地区の出身。「十代のころ、母と一緒に休憩したことがある」と懐かしげだ。

 今の四つ足茶堂は二代目。ありし日の茶堂は四隅に柱が立っているだけのため、四つ足茶堂と呼ばれたとされる。

1961年秋の茶堂。まだ美しい茅葺きの屋根が見える(資料)
1961年秋の茶堂。まだ美しい茅葺きの屋根が見える(資料)

 明治時代に先代が火事に遭い、今の茶堂が再建された。茅葺きの屋根は老朽化が深刻で、二十年ほど前からトタンが被せられてしまった。

 街道がなくなった現在では、もちろん休む人もおらず、青いトタン屋根が寂れた雰囲気を漂わせる茶堂。時折、お地蔵さんにお祈りすると忘れ物が見つかるといって、遠方からお参りに訪れる人がいるという。

 下福家の住民は彼岸と盆の年二回、供養を欠かさない。その時だけは、茶堂に往時のにぎやかさが戻ってくる。

文、写真・福岡 茂樹(報道部)