丸亀城から見た瀬戸大橋(丸亀市)

2001年1月15日

香川の夢をもう一度

 四百年前の最高の築城技術を結集した丸亀城。一五九七年に生駒親正・一正が創建、一六四一年に入封した山崎家治の再建により、ほぼ現在の形となった。

1660年に完成した3層3階の丸亀城天守。四国に残る木造天守の中で最古の歴史を誇る
1660年に完成した3層3階の丸亀城天守。四国に残る木造天守の中で最古の歴史を誇る

 堅固かつ曲線美の石垣を擁し、天守は現存する四国の木造天守のうち最古。標高六十六メートルの亀山に構えた姿は、城下から望むものに威厳ある美観を誇る。

 「天守は威圧するように瀬戸内海に向いているでしょう。よく見渡すことができるし。築城当初には備讃瀬戸の監視という役割があったと思われます」。

 丸亀市教育委員会文化課の東信男さんが、本丸から城下を俯瞰(ふかん)しながら説明する。監視の拠点ということは、瀬戸内海を眺望する絶好のポイントでもあるということだ。

 京極をはじめ城主が天守から備讃瀬戸を眺めた記録はないというが、ひそかにそんな場面があったなら、どんな風景が見えたのか。にぎわう城下町越しに、遠く対岸にある備中や備前に思いをはせながら、瀬戸内海には物資を運ぶ舟が行き交っていただろう。

 それから時代は流れて二十一世紀の扉を開いた今、幾世紀前の最高の建造物である丸亀城から見下ろした瀬戸内海には、二十世紀の科学技術の粋を集めた瀬戸大橋が架かっている。

丸亀城から眺望した瀬戸大橋。17世紀と20世紀、それぞれの科学技術の粋を集めた建造物の対比が美しい=丸亀市一番丁
丸亀城から眺望した瀬戸大橋。17世紀と20世紀、それぞれの科学技術の粋を集めた建造物の対比が美しい=丸亀市一番丁

 一九八八年四月十日、四国の悲願だった島国からの脱却を現実のものとする瀬戸大橋が開通した。九年六カ月の工期と一兆千三百億円の事業費を投入。一八八九年に大久保諶之丞が本四架橋を提唱してからは百年の時間が必要だった。

 瀬戸大橋は世界最大級の道路・鉄道併用橋の南備讃瀬戸大橋をはじめ、約九・四キロの海峡部に六つの橋で構成。四国と本州を結ぶ瀬戸中央自動車道と瀬戸大橋線が走る。最先端の長大橋技術を駆使し、海に映えるシルエットも美しい。

 「二十一世紀につなぐ夢の架け橋」。こんなキャッチフレーズを唱えたのが、開通二カ月前に信託銀行の支店長として香川に着任した池田清一郎氏。県民の瀬戸大橋への思い入れは、まさに夢の架け橋、それ以上の象徴だったはずだ。

 経済、文化、暮らし、すべてに香川は飛躍する―。しかし、いざ新世紀を迎えてみると、そんな期待は裏切られたのが現実。高額の通行料金、県内の高速道路や魅力づくりの遅れ、景気減退などが足かせとなり、架橋の際立った波及効果は得られず、むしろ香川は拠点性を失いつつある。

夜景に美しいシルエットを浮かび上がらせる瀬戸大橋(資料)
夜景に美しいシルエットを浮かび上がらせる瀬戸大橋(資料)

 二十一世紀はIT(情報技術)などの情報通信インフラの急速な発展が、産業構造や社会システムを劇的に変革し、地方のハンディも解消すると予想される。もちろん瀬戸大橋の果たすべき役割も変化してくるだろう。現在は経営コンサルタントとして県内で活動する池田氏は「もう一度、香川の夢を瀬戸大橋に託してもいい。県民の力が試されるとき」と指摘する。

 四百年前の最高の建造物である丸亀城が眺望した瀬戸内海に、橋を架けるための百年が二十世紀だった。二十一世紀とは、瀬戸大橋に香川の夢を走り巡らせるための百年になる。

文・福岡茂樹(報道部) 写真・久保秀樹(写真部)