岬の分教場(内海町)

2000年4月10日

胸に刻む無言の激励

 正確には苗羽(のうま)小学校田浦(たのうら)分校跡。昭和二十九年に公開された映画「二十四の瞳(ひとみ)」で有名となった岬(みさき)の分教場は、小豆島の内海湾に突き出た田浦岬にある。

往時の面影をそのまま残す岬の分教場は小豆島を代表する観光地の一つ。訪れた人は「思い出帳」に感想をつづる=内海町田浦
往時の面影をそのまま残す岬の分教場は小豆島を代表する観光地の一つ。訪れた人は「思い出帳」に感想をつづる=内海町田浦

 明治七年に田浦庵を仮校舎に開校した田浦小が前身。田浦尋常小に改称後、同三十五年に新築した校舎が現在も残る分教場だ。同四十三年苗羽小田浦分校、昭和四十六年三月廃校。最後の児童は二十人だった。

 教室には、ここを訪れた人たちが思いをつづる大学ノートが置いてある。「思い出帳」と名付けられたノート。すでに百冊を超える。ページをめくると、小さい子供から大人までさまざまな世代の思いが飛び込んでくる。中でも教職関係者が多いことに気づく。

 「ありがとう。真っすぐな『二十四の瞳』を、これからも目をそらさずに受け止めていきたい」と書き残したのは現職の小学校の先生。大切な何かを感じ取り、決意も新たに岬を後にしていく姿が目に浮かぶ。

 「あらためて先生になりたいって思った。今度訪れる時は、かわいい生徒をたくさん抱えるすばらしい先生でいたい」「いつか大石先生のような教師になりたくて、講師として格闘しているけど…難しいな」

昭和20年代後半ごろの分教場の授業風景=内海町安田、池田嘉代子さん提供
昭和20年代後半ごろの分教場の授業風景=内海町安田、池田嘉代子さん提供

 教職を志す若い人たちもペンを執っている。思い出帳は、分教場からもらった無言の激励への返信だ。

 内海町安田の元教員池田嘉代子さんは、昭和二十三年から三十二年まで分教場の「おなご先生」。八十歳になった今も当時の記憶は鮮明という。「残したい香川、その通り。でもね、高い知名度に甘えてはだめ。岬の人たちや卒業生が『自分たちで守る』という意識を強く持たなければ」。

 「『香川』という枠は超えている」とは卒業生の一人。思い出帳に記された津々浦々の住所も、普遍的な魅力の代弁者に映る。

 まるで切り取られた空間のように、閑静な岬にたたずむ木造校舎。「グルグル回ってばかり」(池田さん)の狭い運動場、教室の古ぼけたオルガン、懐かしい二人掛けの机、色あせた歴史年表…。教壇に立つと、子供たちが着席しているような錯覚にとらわれる。

 「海の色も山のすがたも、そっくりそのままきのうにつづくきょうであった」。小説で、壷井栄は岬の風景をそう描写している。

映画ロケでの一コマ。駆け出す子供たちを教室の窓から身を乗り出して見つめるのは大石先生役の高峰秀子さん=内海町安田、池田嘉代子さん提供
映画ロケでの一コマ。駆け出す子供たちを教室の窓から身を乗り出して見つめるのは大石先生役の高峰秀子さん=内海町安田、池田嘉代子さん提供

 「せわしない毎日を送る私たちの胸に染みいるフレーズでしょう」。持参した文庫本に記念のスタンプを押しながら解説してくれたのは、京都府長岡京市から訪れたという初老の元教員。「本当に小説のままの風景。来てよかったですよ」。

 廃校から二十九年。教室の黒板には、分校最後の児童がつづった「別れの詩」が今も残っている。

 「分校とおわかれの日がきました。わがままな私たちを、いつもあたたかく見守ってくださった校しゃ、校てい、やさしくみちびいてくださった先生方、らいひんのみなさま、おとうさん、おかあさん、ありがとうございました」

文・福岡 茂樹(報道部) 写真・鏡原 伸生(写真部)