遍路道(県内一円)

2000年3月20日

空海と歩む悟りの場

たどり着いた霊場でろうそくに火をともす。遍路への動機は人それぞれだ=坂出市青海町、白峯寺
たどり着いた霊場でろうそくに火をともす。遍路への動機は人それぞれだ=坂出市青海町、白峯寺

 「嫁いだ長女が急死した知らせに大きなショックを受けた。残された私たち老夫婦にできることは何か。思い付いたのが四国霊場八十八カ所を歩くことだった」

 静岡県清水町の元高校教諭、久保田豊さん(69)が娘の供養のため霊場を巡拝したのは今から四年前。妻の久江さん(68)と、総距離約千二百キロをひたすら歩いた。娘をしのぶ二人旅。思いは、約六十日間かけて“満願”を迎えた。

 四国四県はもとより全国から厚い信仰を集める四国霊場八十八カ所。その札所を巡る「四国遍路」が一般に広まったのは江戸時代中期ごろという。以来、多くの参拝者が、札所と札所を結ぶ「遍路道」を通り過ぎた。

 古今を問わず、遍路への動機は人それぞれ。「供養」「自然を満喫」「体力づくり」「俗世間を離れたい」…。さまざまな願いを込めて、道中修行とも呼ばれる過酷な道程に挑む。

湯茶の接待を受けるお遍路さん。先人から受け継がれた「お接待の心」は、今も地元の人々にしっかりと根付いている=高松市鬼無町(資料)
湯茶の接待を受けるお遍路さん。先人から受け継がれた「お接待の心」は、今も地元の人々にしっかりと根付いている=高松市鬼無町(資料)

 歩き遍路は「行の苦」を与えるだけではなかった。湯茶や果物、善根宿の接待など地域住民との温かい触れ合いをはぐくんだ。心と心の交流。先人たちから受け継いだ「お接待の心」は、沿道に今もしっかりと根付いている。

 しかし、車の普及とともに、歩き遍路が減少したのも事実。樹木が生い茂り、遍路道が消えつつある個所もある。にもかかわらず、なぜか今、歩き遍路がひそかに脚光を浴びているという。

 「人間は、無いものを求める。殺伐とした世の中だからこそ、俗世間を離れた心を癒(いや)してくれる空間を追い求めているのではないか」。遍路の研究を続ける遍空庵主宰の白井加寿志さん(66)=国分寺町=の目には、四国遍路のにぎわいがこう映る。

 春とはいえ、吹く風がまだ冷たい三月中旬。坂出市の八十一番札所白峯寺の境内に般若心経が響いた。白装束に菅笠(すげがさ)姿の一行が、次の寺に延びる巡礼の道を、草木と語らうように黙々と歩く。

自然と一体となる歩き遍路。厳しい道中修行は、俗世間のしがらみを忘れさせてくれる=坂出市青海町
自然と一体となる歩き遍路。厳しい道中修行は、俗世間のしがらみを忘れさせてくれる=坂出市青海町

 一行は、高松市の主婦、辻文栄さん(66)ら三人。竹林からこぼれる柔らかな日差しを受ける三人の表情には、どこか無我の境地がうかがえる。

 「同じ景色でも、遍路道を歩きながら見る風景はひと味違う。各地域の風土と寺、景観が一体となった四国遍路には独特の雰囲気がある。それだけに、遍路歩きは日ごろのけん騒を忘れさせてくれるんです」と辻さん。

 数多くの参拝者が踏み固めた遍路道。その道の所々にある道標などを学術的に調査する四国遍路道学術調査研究会代表の川田裕史さん(60)=高松市=は言う。

 「四国遍路の象徴は、四国にしかない遍路道ではないか。空海と一体になれる修行の道。その道は悠久の時が流れても、四国遍路の原風景といえるだろう」

 厳しい自然の中をひたすら歩く八十八カ所巡りは、空海ゆかりの癒しの空間。何かを悟り、新たな境地が開ける。「心の時代」といわれる二十一世紀へ私たちを導くのは、一本の遍路道かもしれない。

文・藤田 敦士(生活文化部) 写真・山崎 義浩(写真部)