夜念仏(土庄町)

2002年5月20日

山里巡り先祖を慰霊

先祖の霊を慰めるため念仏を唱えて家々を回る風習「夜念仏」=土庄町、93年8月13日撮影(いずれも県歴史博物館提供)
先祖の霊を慰めるため念仏を唱えて家々を回る風習「夜念仏」=土庄町、93年8月13日撮影(いずれも県歴史博物館提供)

 悪趣(あくしょう)に 出現したまえて 衆生(しゅじょう)の苦患(くげん)をみちびきけり

 八月十三日の夕方から深夜にかけ、土庄町北東部の屋形崎地区では、チリンチリンという鉦(かね)の音と、独特の節回しで唱える念仏が、哀愁を帯びて山里に響く。

 この先祖の霊を慰める風習「夜念仏」は、同町を中心に続いている民間信仰。念仏の内容は口承であるため、意味不明や間違いと思われる個所もあるが、人々はひたすら信じて、唱え続けてきたのだ。

 同町文化財保護審議会などの調べによると、「よねんぶつ」とも「よねぶつ」などとも呼ばれ、今も盛んなのが屋形崎地区だという。

夜遅くまで山里を練り歩く連中。白装束に菅笠姿は弘法大師に化身する意味があるという
夜遅くまで山里を練り歩く連中。白装束に菅笠姿は弘法大師に化身する意味があるという

 江戸時代から伝わる同地区では、老齢化に伴い一九五〇年代前半にいったん中断したが、六八年に住民有志が、古里のお盆の行事を後世に残すために復活させた。

 現在は、「屋形崎夜念仏連中」(港武慶代表)として、五十代後半から八十代の男性十一人で行っている。

 「昔は女性だけで回っていた時代もあるんですよ」というのは、二年前まで代表を務めていた笠井忠雄さん(83)。「地蔵尊」「無情和讃」というこの地区で唱える念仏の第一人者で、引退後も後輩に節回しなどを指導している。

 毎年、お盆の十三日午後六時ごろ、連中は、同地区の小豆島霊場七十六番札所・金剛寺(葛西裕匡住職)に集合。弘法大師に化身して供養するため、服装は白い着物か白衣に白い帯を締め、白い手甲脚絆(てっこうきゃはん)を付け、頭に菅笠(すげがさ)、帯に鉦を差し、右手に撞木(しゅもく)を持っている。

 以前は一団となって地区内の百軒余りの檀家を回っていたが、早朝までかかることから五、六年前からは二手に分かれて、念仏を唱えて回っている。手分けしているとはいえ、坂道も多く終わるのは午前零時を過ぎる。

果物や野菜などを供える精霊棚。新仏の家では特に供え物も多い
果物や野菜などを供える精霊棚。新仏の家では特に供え物も多い

 各家には、先祖の霊を迎えるため、ナスやそうめんなどを供えた精霊棚(しょうりょうだな)を設置。新仏の家では、特に供え物も多く、親類が一堂に集まり、みんな起きて一行が来るのを待っているという。

 港代表(75)は「念仏は節回しがとにかく難しく、覚えるのが大変。暗い山里を念仏を唱えながら歩き回るので、足が棒のようになるが、古里のお盆の風物詩として、長く伝えていきたい」と力を込めて語る。

 同地区では、六十歳近くを迎えた初老のなかから、有志が連中に加わっている。公民館では、笠井さんの“新人研修”が既に始まった。

文・木下 亨(東讃支局)