数珠繰り(綾南町など)

2001年8月20日

古きムラ社会を象徴

25平方メートルほどの地蔵堂では長さ約12メートルの大数珠が馬酔木の人たちによって毎夏、繰られる。地域の伝統行事を絶やすまいと昨年からは馬酔木自治会を中心に数珠繰りを行っている=綾南町陶、馬酔木地区
25平方メートルほどの地蔵堂では長さ約12メートルの大数珠が馬酔木の人たちによって毎夏、繰られる。地域の伝統行事を絶やすまいと昨年からは馬酔木自治会を中心に数珠繰りを行っている=綾南町陶、馬酔木地区

 県道三木・綾南線沿い。綾南町陶、馬酔木(あせび)地区にある「馬酔木のお地蔵さん」では毎年八月、長さ約十二メートルの大数珠が地区の人たちによって繰られている。長~い、長~いその数珠は明治六(一八七三)年に作られたというから、ことしで実に百二十八年間、ずっと使われ続けたことになる。二百六十八個あるという直径十センチほどの桐(きり)製の玉は黒々と光っていて、どこか誇らしげだ。中には擦(す)り減って原形をとどめない玉もあり、歴史の重さをずしりと感じさせてくれる。

 ことしも十九日午後六時から、「馬酔木のお地蔵さん」では、地区のお年寄りや子どもたち約五十人が十六畳ほどの広さの地蔵堂で数珠繰り。大きな輪になって、念仏を唱えながら、家内安全、無病息災、病気平癒に五穀豊穣(ほうじよう)…と、何にでも御利益があるという縁起物の大数珠を回した。太鼓で調子よくリズムを取りながら延々一時間あまり、数珠は繰られていく。「本来は旧暦七月十九日が地蔵市だが、人が集まりやすい日を同行で話し合って。だから、ことしはこの日になった」と馬酔木自治会の安田正さん(70)。

親玉に刻まれた「明治六年」の文字
親玉に刻まれた「明治六年」の文字

 数珠繰りは「百万遍」ともいわれるように、大勢で何度も念仏を唱えることに意味がある。一人で何度も唱えるのは難しくて大変だから、全員で負担し、その労苦を少しでも軽減しようという「共同祈願」の発想。厄払いとしてその厄をみんなで分け合って背負っていこうという気持ちが込められていたし、秋へ向け、豊作を祈願する人々の思いが大数珠には託されてきた。

 「ムラ社会では、全員の生業(なりわい)が農業だったから、気持ちが一つになりやすかった。楽しみも少なく、一種のレクリエーション的要素も強かった」と、安田さんら地区の世話役たちは話す。

 そんな馬酔木の数珠繰りも第二次世界大戦前までは新開(しんがい)、実光(さねみつ)と馬酔木の三地区で数珠を繰っていたが戦後、途絶え、昭和二十七、八年ごろに馬酔木地区だけで復活させた。「なぜって。そりゃあ、昔からやっとったし、数珠が残っていたから、絶やすのは、先人に申し訳ないでしょ」と、ことし八十五歳の大芝花子おばあちゃん。それからずっと有志で行ってきたが年々、高齢化。後に続く世代も少なくなったため、自治会が中心となって取り組むよう、昨年から改められたばかりだ。

お接待のおにぎり。コメの飯にめったにお目にかかれなかった戦前は、「大変なごちそうだった」とお年寄りたち。この日は婦人会のメンバーが約160個を準備し、振る舞った
お接待のおにぎり。コメの飯にめったにお目にかかれなかった戦前は、「大変なごちそうだった」とお年寄りたち。この日は婦人会のメンバーが約160個を準備し、振る舞った

 八月二十三日、仁尾町の地蔵寺で数珠繰りを行っている普門院の木村法住住職(69)も高齢化とともに参拝者が減っていることに危機感を募らす一人。「寺の行事としては残っていくが、若い世代に伝統行事の意味合いをちゃんと伝えていくことが必要でしょう」という。暮らしが豊かになり、職業も多種多様。価値観が多様化し、同じ目標が見いだせない分、地域主体の行事は確かに存続自体が難しい。

 数珠繰りに使う霊験あらたかな、ありがたい「お数珠」は、古き良き時代のムラ社会のコミュニティーの象徴だった。県内ではいまも、丸亀市本島や三木町奥山の広野地区、高松市香西北町の萬徳寺、多度津町堀江の観音院などでも地蔵盆や虫送り、新春の行事として、少しずつ形を変えながら、人々の心をつないでいる。

文・山下 和彦(生活文化部) 写真・久保 秀樹(写真部)