虫送り(土庄町など)

2001年6月25日

松明かざし豊作願う

五穀豊じょうを願って火手をかざしてあぜ道を練り歩く子供たち=土庄町肥土山(資料)
五穀豊じょうを願って火手をかざしてあぜ道を練り歩く子供たち=土庄町肥土山(資料)

 半夏生(はんげしよう)に当たる七月二日に毎年、小豆島の田園地帯で、虫よけと豊作を願って繰り広げられる民俗行事の「虫送り」。夕やみが迫ると火手(ほて)と呼ばれる松明(たいまつ)を持った子供たちが、稲が植わったあぜ道を練り歩く。

 虫送りは、従来行われている土庄町肥土山(ひとやま)地区に加え、二年前から同地区に隣接する池田町中山地区でも復活、夏の風情を一層際立たせている。この日は「足洗い」といって、田植えの終わった慰労の日でもあり、地域一帯では、たらいうどんを家族そろって食べる習慣が今も残っている。

 稲の害虫を追い払う虫送りの行事の始まりは、三百年前の江戸時代にさかのぼる。イナゴが大発生し、飢饉(ききん)が起こり、百万人近い人々が餓死したのが由来といわれる。土庄町は、一九七〇年に無形民俗文化財に指定している。

火入れ式をする藤本住職(資料)
火入れ式をする藤本住職(資料)

 かつては、中山、肥土山、黒岩と伝法川の下流に向かって村境から村境へと火がリレーされ、最後は瀬戸内海に松明を流したという。肥土山周辺は山に囲まれた盆地で、昔から社会連帯意識が強い地域。虫送りもそんな隣村同士の仲の良さをかいま見られる行事で、共同祈願の習わしだ。

 現在、肥土山では、毎年午後六時ごろに小豆島霊場四十六番札所・多聞寺(藤本佳鳳住職)が虫よけと五穀豊じょうを祈願。約二百メートル離れた虫塚で稲の虫を供養する。

 そして、地元の大鐸(おおぬで)子ども会の児童らが、農村歌舞伎で知られる近くの離宮八幡宮に集合。竹などで作った長さ約一・五メートルほどの火手をあぜ道にかざしながら、約一・五キロの蓬莱(ほうらい)橋まで練り歩く。

 藤本住職(23)も子供のころに、火手を掲げてあぜ道を歩いた一人。「久しぶりに子供のころの友達に会うと、虫送りの思い出話なども語られる。幸い自治会の人たちも毎年、熱心に準備してくれているので自分なりにアレンジも加えて、この行事をずっと伝えていきたい」と話す。

虫送りに出発する家族連れら(資料)
虫送りに出発する家族連れら(資料)

 中山では二年前、地域活性化を目指して、地元有志グループ「湯舟山千枚田守ろう会」(大峯正敏会長)などが中心になり、半世紀ぶりに虫送りを復活させた。

 地域のお年寄りらの話を参考に、小豆島霊場第四十四番札所・湯舟山からスタートし、一・五キロ先の肥土山離宮八幡宮まで松明が続いた。

 大峯会長(50)は「火手の準備などは大変だが、復活した以上ずっと続けなければ。できれば肥土山と中山がリレー方式で火をつなぐ、昔ながらの方式を再現したい」と意気込みを語る。

 半夏生を前にのどかな盆地に広がる千枚田で、大峯さんは、田植え作業を急いでいる。

文・木下 亨(地方部) 写真・鏡原 伸生(写真部)