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満濃池のゆる抜き(満濃町) 轟音とともに命の水
築堤1300年記念式典で行われた空海ゆかりの柴燈(さいとう)護摩=資料(2001年4月
築堤1300年記念式典で行われた空海ゆかりの柴燈(さいとう)護摩=資料(2001年4月
 讃岐は古来から雨が少なく、豊富な水量を持つ大きな河川もない。干ばつに泣かされ続けた先人たちは無数のため池を築き、農業用水を確保してきた。満濃池は最大貯水量千五百四十万トン、かんがい用のため池として日本一の規模を誇り、ため池王国・香川のシンボル的存在として全国にその名を知られている。

 満濃池は大宝年間(七〇一―七〇四年)に讃岐国司・道守朝臣(みちもりのあそん)が築いた。洪水によって何度も決壊と再築を繰り返し、修復工事が難航を極めた弘仁十二(八二一)年には、唐で水利土木技術を学んだ空海が派遣され、工事を成功に導いたことでも有名だ。現在は丸亀、善通寺市、満濃、琴平、多度津町の農家八千戸、水田約三千ヘクタールが満濃池からの送水を受けている。

74年当時のゆる抜き風景。大勢の見物客は今と変わらず初夏を告げる風物詩だったことを物語っている=資料
74年当時のゆる抜き風景。大勢の見物客は今と変わらず初夏を告げる風物詩だったことを物語っている=資料
 毎年六月十三日に行われる満濃池のゆる抜きは、讃岐路に本格的な田植えシーズン到来を告げる初夏の風物詩。正午にあわせて関係者が配水用ハンドルを回して水門を開放すると、堤防下の放水口から「ドーッ」という轟音(ごうおん)とともに毎秒五トンの水が勢いよく流れ出す。待ちかねた見物客から一斉に歓声が沸き上がる。

 配水業務と管理を担当するのは琴平町西山にある満濃池土地改良区(久元豊理事長)。受益地に農業用水を確実に供給する重要な使命を帯びた「水の番人」だ。しかし、計算のまったく立たない自然が相手だけに、職員たちの苦労は絶えることがないようだ。

大勢の見物客の前で堰を切ったように豪快に放水されるゆる抜き。田植えシーズンの到来を告げる初夏の風物詩だ=資料(2000年)
大勢の見物客の前で堰を切ったように豪快に放水されるゆる抜き。田植えシーズンの到来を告げる初夏の風物詩だ=資料(2000年)
 「六月のゆる抜きの時点で満水だったら一安心なんだけど、なかなか難しくてね。昨年なんかは六三%だったから」とは同改良区総務課長の宮本正憲さん。ゆる抜きの後は、雨と相談しながら配水量を調節するのが職員の日課。しかし、少雨の年は十分な水はたまらない。記憶に新しい一九九四年の大渇水時には九月末の貯水量が一八%まで落ち込み、何度も配水を止めざるをえない緊急事態に陥った。仕事とはいえ、つらい時期だったことだろう。

 宮本さんは現在、社会科学習で訪れる小学生の案内役も務める。「ふろの残り湯を洗濯に使っていますか」との問いに、半数近い児童が手を挙げるという。「大渇水以前とは比べものにならない。節水意識の高まりを感じる瞬間です」。蛇口をひねっても水が出ないという天からの「鉄槌(てつつい)」を受け、私たちの意識は着実に変わりつつあるはずだ。

 「節水が当たり前にならなきゃだめ。水は永遠の資源ではないんです」と力を込めて訴える宮本さん。水の大切さを身をもって知る番人からのメッセージを重く受け止めたいと思う。

 ゆる抜きを控えた今年の貯水率は、五月末現在で九五%とまずまず順調に推移している。堰(せき)を切ったように豪快に流れ出る命の水が水田を次々と潤すと、讃岐平野のあちこちで小さな緑の苗が背比べ。梅雨空の向こうでは夏の太陽が近づく出番を待っている。

文・黒島 一樹(観音寺支局)
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