サイケなど農耕儀礼(県内各地)

2001年5月28日

田の神迎え豊作祈る

スボキと呼ばれるわらの束に氏神さんから授かったお札、季節の花を祭って苗の成長を見守る
スボキと呼ばれるわらの束に氏神さんから授かったお札、季節の花を祭って苗の成長を見守る

 もう二十五年、いや三十年になるだろう。田植え機の普及で親類や近所の人が総出で"人海戦術"を繰り広げた田植え風景が、すっかり影をセンめた。苗代で苗を育てる農家もずいぶん減った。育苗センターで育てられた苗が、いまは容易に手に入る時代なのだ。

 「昔は苗が上手に仕立てられるかどうかで、その年の収穫が左右された。大変な労力と神経を使っていたんです。お天気と水に恵まれて、いい苗が育ちますようにと、こうやって、田の神さんに祈っている」

 三木町小箕の裏山安江さん(76)は、いまでも自宅近くの苗代で苗を育てる。苗代の隅に季節の花々をちょこんと生けて…。代々、受け継がれてきた風習だ。

 こうした水口祭りは、田の水口にスボキと呼ばれるわらの束に季節の花、氏神さんから授かったお札を祭る地域もあって、実にさまざま。みな、豊作への祈りという点で同じ。わらの束は、まき終えた種籾(もみ)が水に流されないようにという、先人の知恵なのだろう。

田植え始めをサイケと呼んで、やって来た田の神さんのご機嫌を損ねないよう、洗米やいりこ、穀物などでもてなした=三木町小箕
田植え始めをサイケと呼んで、やって来た田の神さんのご機嫌を損ねないよう、洗米やいりこ、穀物などでもてなした=三木町小箕

 「初めて田植えがすんだあぜに苗を数株ずつ三把(わ)並べて、その間に洗米といりこ、焙烙(ほうろく)で炒(い)った大豆、黒豆、餅(もち)花を供えて田の神さんをもてなしていたが、いま、この辺りでは見かけません」と裏山さん。サイケと呼ばれる風習だが、これも地域で少しずつ事情が異なってくる。

 「千石万石/あぜにもたれ岸にもたれ/たくさん収穫がありますように」。御幣(ごへい)を立て季節の花を祭るというのは、善通寺市中村町の石村萩枝さん(75)。すぐ隣の集落では御幣は祭らず花のみという。その中に実のなる木を一本混ぜて供えるのがポイントだとか。

 「私らが小さいときは学校帰りに、あぜに祭ったお札の中から餅花をこっそり頂いて食べるのが楽しみだった」と、昔の農村の風景を懐かしむのは高松市東植田町の専業農家上原一輝さん(45)。「田の神さんがおいでになったと、喜んでくれたものでした」。

 いまでは水事情がよくなり、コメ自体も品種改良が進んだ。「ハウスで苗を育てることで管理しやすくなった。天候に左右されることが少なくなったため、サイケなどの風習があまり見られなくなったのでは。ただ、最大の原因は専業農家が減ったことではないか」と上原さんは指摘する。

麦うらしでは、麦刈りや田植えに備えて骨休め。ごちそうにはサワラの押し抜きずしが付き物だった
麦うらしでは、麦刈りや田植えに備えて骨休め。ごちそうにはサワラの押し抜きずしが付き物だった

 まったくの自然頼み、神頼みだったかつてに比べ、コメも作りやすくなった。

 自然の脅威と対峙(たいじ)し、節目ごとに神に祈った先人たち。こうした農耕儀礼からは信仰心を超え、そこには自然と共に生き、自然に対し、あくまで謙虚であった人々の心が垣間見える。

 「いまでは田植え時期も分散化。手間換えや水の当番など、集落全体でしていた昔がうそのよう」と上原さん。農業の近代化は地域から一つ、コミュニティーの場を狭めた。

 【農耕儀礼】県内では、田植えの始めに田の神を迎えることをサイケ(サンバイオロシ)、終わりをサノボリ(サンバイアゲ)と呼び、稲作の節目ごとに田の神に農事の無事と豊作を祈願した。また、秋の収穫をオカイレ、籾すりの終わりをニワアゲと呼んで、その年の豊作に感謝した。

文・山下 和彦(生活文化部) 写真・久保 秀樹(写真部)