荘内半島の浦島伝説(詫間町)

2001年12月24日

夢広がる歴史ドラマ

紫雲出山付近にある竜宮トイレ。浦島太郎を描いた町営バスも走る
紫雲出山付近にある竜宮トイレ。浦島太郎を描いた町営バスも走る
箱浦にある浦島親子の墓。後ろには、台石がカメの形をした墓碑も
箱浦にある浦島親子の墓。後ろには、台石がカメの形をした墓碑も
積から望む紫雲出山。玉手箱からわき上がった煙がたなびいた所
積から望む紫雲出山。玉手箱からわき上がった煙がたなびいた所

 カメの背中に乗って海の中の竜宮城へ行くという、世にも不思議な「浦島太郎」の物語。だれもが、子供のころに一度は読んだり、聞いたりした話だろう。そんなおとぎ話にまつわる伝説が、詫間町の荘内半島で古くから言い伝えられている。

 かつて「浦島」と呼ばれた荘内半島には、浦島伝説ゆかりの地名や遺跡などが数多く残っている。主人公・浦島太郎が産声を上げたのは燧灘を望む漁村の「生里(なまり)」。太郎が「鴨(かも)の越(こし)」で、いじめられていたカメを助けたことから物語は始まる。では早速、浦島太郎の足跡を訪ねてみよう。

紫雲出山から見下ろす鴨の越。沖の丸山島には浦島神社がある
紫雲出山から見下ろす鴨の越。沖の丸山島には浦島神社がある
カメを助けた鴨の越の砂浜。浦島太郎も釣り具を肩に燧灘をめでながら歩いていたかも
カメを助けた鴨の越の砂浜。浦島太郎も釣り具を肩に燧灘をめでながら歩いていたかも

 ある日、太郎がいつも釣り糸を垂れていた「どんがめ岩」に助けたカメが突然現れて、「あなたに助けられたカメです。お礼に竜宮へご案内いたしましょう」…。たどり着いた竜宮城で楽しく過ごした太郎は、乙姫に送られて宝物と一緒に「積(つむ)」の海岸に帰ってきた。長い間の不在で村はすっかり変わり果て、知る人もいない。やるせなくなった太郎は、禁じられていた玉手箱を「箱浦(はこうら)」で開けてしまう。箱の中から白煙が立ち上り、太郎は白髪の老翁(おう)に。そして、その白煙は紫の雲となって「紫雲出山(しうでやま)」にたなびいた。

 まことしやかに言い伝えられた詫間の浦島伝説が、物語として広く発表されたのは一九四八年のこと。戦後、旧荘内村で言い伝えられてきた浦島伝説を世に出して観光振興を図ろうという機運が高まり、郷土史家の三倉重太郎さん(一〇一)が半島一帯の地名研究を行い、物語として編さんしたという。

 現在、詫間町では「花と浦島伝説の里」をキャッチフレーズに、積極的に町おこしに努めている。中でも町のPRに一役買っているのが観光大使の山田要さん(77)。三代目浦島太郎に就任して十九年目を迎える。「幼いころから言い伝えられとった話。作りごととは思えんなあ」。

浦島太郎ゆかりの地
浦島太郎ゆかりの地

 しかし、浦島伝説は詫間町に限った話ではない。語りつがれている伝説は、全国で二十数カ所以上に及ぶ。また、奈良時代につくられた「風土記」「日本書紀」「万葉集」の中にも存在するほどの長い歴史が浦島伝説には存在するのだ。

 「表立っては言えない話を、たとえ話として人々が語り継いだのが浦島伝説ではないか」。紫雲出山から出土した貝を基に、詫間の浦島伝説などを研究する瀬戸内短大客員教授の名護博さん(60)は、伝説を読み解くカギを「物語と残された遺跡を重ねて考えること。そうすれば、伝説の背後にある真実が見えてくる」と語る。

 細長く、複雑な海岸線を持つ半島を舞台にした壮大な伝説。実話か、はたまた夢物語か―。ぐるっと半島を一巡りしても、真実は煙に包まれたままだ。

文・荻田 晃子(観音寺支局) 写真・山崎 義浩(写真部)