屋島と浄願寺のタヌキ(高松市)

2001年2月26日

大明神に化けた2匹

 四国は「タヌキ王国」。度の過ぎるいたずらを繰り返すキツネを弘法大師が追放したためだ。おかげでタヌキにまつわる伝承は讃岐に数多(あまた)と残る。活躍するタヌキもごまんといるが、ここはつとに有名な二匹のタヌキに登場願おう。

「蓑山大明神」こと太三郎狸は屋島寺と深い関係。寺内には太三郎一家の大きな石像が建てられている
「蓑山大明神」こと太三郎狸は屋島寺と深い関係。寺内には太三郎一家の大きな石像が建てられている

 屋島の「太三郎狸(たぬき)」は、四国のタヌキの大将格。日本三名狸に数えられ、変化(へんげ)妙技は日本一の誉れ高い。屋島に「タヌキ大学」を開校し、学長を務めている。

 浄願寺(高松市番町二丁目)の「はげさん」は、太三郎狸の弟分。里は屋島だが、源平合戦のとき物騒だからとすみかを移した。

 「屋島寺とは切っても切れない関係」。屋島寺(高松市屋島東町)の中井龍照住職が太三郎狸との密接なつながりを解説する。

 弘法大師が屋島のふもとにさしかかった際、道に迷ってしまった。すると蓑(みの)をかぶった老人が大師の道案内を務めた。この老人こそが太三郎狸だった。

 太三郎狸は屋島寺の住職が代替わりする際、寺内の庭園「雪の庭」を舞台に、源平合戦の模様を住職の夢枕(まくら)で再現してきた。

 中井住職は約三十年前に住職に就いたが、「見たことはないんです。先々代はあると言っていたけど。修行が足りないから見せてくれません」と残念そう。

 「でも、ぬくい日は雪の庭に本物のタヌキが姿を見せていましたよ」。ただ、タヌキが見られたのは屋島ドライブウエーが開通する一九六一年ごろまで。中井住職は、屋島山上に捨てられた犬がタヌキを追いやったと推察している。

 「仲間のタヌキの数が減ったから、太三郎狸も源平合戦も見せられなくなったのかもしれません」。

屋島寺本堂の横にたたずむ「蓑山塚」。参拝者がタヌキの置物を残していく
屋島寺本堂の横にたたずむ「蓑山塚」。参拝者がタヌキの置物を残していく

 浄願寺のはげさん、名前の由来である禿(はげ)は情の深さゆえの名誉。「借金で正月を迎えられない老夫婦のために、金のやかんに化けて金持ちに売られたはげさんは…」。上野忠昭副住職が昔話を話し出した。

 火にかけられ、ごしごしこすられると、がまんできない。たまらず逃げ出したものの、頭には禿ができてしまった。しくしくと泣くはげさんに、お坊さんがお供えの鏡餅を三つあげるとようやく泣きやんだ。

 「今泣いたん だれかいの 浄願寺の禿狸 おかざり三つで だあまった」

 泣いている子供をあやすために歌われる、こんな童歌も残されている。

 阿波の金長狸と化け比べをした、タヌキの紛争を仲裁した、日露戦争に出征して小豆一粒を兵士一人に見せかけた、かけうどんを食べにきた…。二匹は多くの逸話を残すとともに、多くの善行も積んでいった。

 いま、太三郎狸は「蓑山大明神」、はげさんは「白禿大明神」として、寺内の一角にまつられている。

情深い浄願寺のはげさんは「白禿大明神」として地域からあがめられている
情深い浄願寺のはげさんは「白禿大明神」として地域からあがめられている

 一夫一婦の契りが固い太三郎狸は、縁結び、子宝、家庭円満の神として、願いを託す参拝者が全国から訪れる。重要文化財である屋島寺本堂の傍らには、太三郎狸夫婦と子供の石像がでーんと立っている。

 はげさんをまつる社は、近くに病院や学校が多いこともあって、入院患者や受験生をはじめお参りする住民の姿が絶えない。

 太三郎とはげの二匹のタヌキ、ついには大明神にまで化けてしまった。

文・福岡 茂樹(報道部) 写真・山崎 義浩(写真部)