民謡・踊こんぴら船々(県内全域)

2002年4月22日

時代や国境超え魅了

「Japan2001」に向け、練習を重ねる部員たち=琴平町、琴平高校(2002年2月27日)
「Japan2001」に向け、練習を重ねる部員たち=琴平町、琴平高校(2002年2月27日)

♪こんぴら船々

 追手(おいて)に 帆かけて

 シュラシュシュシュ

 廻(まわ)れば四国は

 讃州那珂(なか)の郡(ごおり)

 象頭山こんぴら大権現

 一度廻れば

 (琴平町史から抜粋)

 言わずとしれた香川を代表する民謡「こんぴら船々」。踊りは見たことがなくても、讃岐に住んでいたら、どこかで耳にしたことくらいはあるだろう。

 小気味よいテンポと、情景豊かに詠まれた歌詞は、一度聞いたら忘れられないインパクトの強さがある。

 四国詩人の会代表の大波一郎さん(74)=琴平町=は「現代になっても、この唄(うた)には庶民の情感と活力が脈打っているのを感じます」と表現する。

 県民にとってなじみ深いこの唄。歌詞の意味や誕生の経緯を知ったら、より親しみを感じることができそうだ。

昭和42、43年ごろ、こんぴら船々を踊るこんぴら民謡保存会=琴平町、長谷川保子さん所蔵
昭和42、43年ごろ、こんぴら船々を踊るこんぴら民謡保存会=琴平町、長谷川保子さん所蔵

 「こんぴら船」とは、一七四四(延享一)年から、大坂―丸亀間で金毘羅参詣客を運んでいた乗合船を指す。「追手」は「追風」と表記されている場合もあり、追い風に吹かれながら、船が順調に航行を続ける様子を表している。

 「那珂の郡」は昔、仲多度郡が金毘羅のある「那珂郡」と、「多度郡」に分かれていたころの名残だ。

 一番分かりにくいのが、「廻れば四国は」と「一度廻れば」の部分。香川歴史学会会員の溝渕利博さん(54)は「芸者や参詣客が、座敷遊びで畳の上を回りながら、この唄を歌っていたことに由来するのではないか」と推測する。「記録などを見ていると、こんぴら船々は、座敷で参詣客相手に歌われた騒ぎ唄の一種だったようです」。

 唄の起源についても、諸説がある。元禄(一六八八―一七〇四年)のころ、金毘羅船の出た大坂港の宿場から歌い出された▽天保年間(一八三〇―四四年)▽明治の初期―など。

 「どの説も決め手がない」と指摘するのは、香川創作歌謡研究会を主宰する大川一幸さん(76)。

 「でも、分からないというのは民謡の要素。すべてが分からないからこそ民謡なんです」

 作詞者もいまだ不明だが、近年は、元唄に二番以降の歌詞を追補したものが、数多くレコード化されている。

イギリスの小学校で、児童に踊りを教える琴平高生(琴平高提供)
イギリスの小学校で、児童に踊りを教える琴平高生(琴平高提供)

 現代では、お祭りなどで、踊られることが多い。

 「ずっと同じ踊りだと飽きてくるので、少しずつ振り付けを変えながら踊ってきました」

 こう証言するのは、こんぴら民謡保存会の藤原カツ子さん(77)。一九六一年の発足以来、観光客らの前で、こんぴら船々をはじめ数多くの民謡を踊ってきたエキスパートだ。

 踊りの目的や形は変わっても、愛され、歌い継がれてきたこんぴら船々。

 今年三月には、琴平高校(琴平町)の郷土芸能同好会が、イギリスで踊りを披露するというかつてない機会に恵まれた。

こんぴら船々などをメドレーで披露。「Japan2001」を、見事成功へと導いた=ロンドン大学内、大ホール(琴平高提供)
こんぴら船々などをメドレーで披露。「Japan2001」を、見事成功へと導いた=ロンドン大学内、大ホール(琴平高提供)

 日英文化交流事業「Japan2001」などへの出演。三味線や太鼓のお囃子(はやし)に合わせた優雅な舞は、外国人らの観客を魅了、絶賛を博した。

 「訪れた教会で踊ったときも、今までにないくらいの盛り上がりだった」。二年生の高畠由美さん(16)は、興奮気味にそのときを振り返る。

 「踊りがリズムに乗ってきたら、気分はそう快」「三味線の軽快な音色が響いてくると、体が熱くなる」…。

 踊り手と観客の両側から聞こえてくるこんぴら船々の魅力。時代や国境を超えて人々を引き付ける力が、この唄にはある。

文・末沢 鮎美(生活文化部) 写真・久保 秀樹(写真部)