民謡・踊こんぴら船々(県内全域)
時代や国境超え魅了
♪こんぴら船々
追手(おいて)に 帆かけて
シュラシュシュシュ
廻(まわ)れば四国は
讃州那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山こんぴら大権現
一度廻れば
(琴平町史から抜粋)
言わずとしれた香川を代表する民謡「こんぴら船々」。踊りは見たことがなくても、讃岐に住んでいたら、どこかで耳にしたことくらいはあるだろう。
小気味よいテンポと、情景豊かに詠まれた歌詞は、一度聞いたら忘れられないインパクトの強さがある。
四国詩人の会代表の大波一郎さん(74)=琴平町=は「現代になっても、この唄(うた)には庶民の情感と活力が脈打っているのを感じます」と表現する。
県民にとってなじみ深いこの唄。歌詞の意味や誕生の経緯を知ったら、より親しみを感じることができそうだ。
「こんぴら船」とは、一七四四(延享一)年から、大坂―丸亀間で金毘羅参詣客を運んでいた乗合船を指す。「追手」は「追風」と表記されている場合もあり、追い風に吹かれながら、船が順調に航行を続ける様子を表している。
「那珂の郡」は昔、仲多度郡が金毘羅のある「那珂郡」と、「多度郡」に分かれていたころの名残だ。
一番分かりにくいのが、「廻れば四国は」と「一度廻れば」の部分。香川歴史学会会員の溝渕利博さん(54)は「芸者や参詣客が、座敷遊びで畳の上を回りながら、この唄を歌っていたことに由来するのではないか」と推測する。「記録などを見ていると、こんぴら船々は、座敷で参詣客相手に歌われた騒ぎ唄の一種だったようです」。
唄の起源についても、諸説がある。元禄(一六八八―一七〇四年)のころ、金毘羅船の出た大坂港の宿場から歌い出された▽天保年間(一八三〇―四四年)▽明治の初期―など。
「どの説も決め手がない」と指摘するのは、香川創作歌謡研究会を主宰する大川一幸さん(76)。
「でも、分からないというのは民謡の要素。すべてが分からないからこそ民謡なんです」
作詞者もいまだ不明だが、近年は、元唄に二番以降の歌詞を追補したものが、数多くレコード化されている。
現代では、お祭りなどで、踊られることが多い。
「ずっと同じ踊りだと飽きてくるので、少しずつ振り付けを変えながら踊ってきました」
こう証言するのは、こんぴら民謡保存会の藤原カツ子さん(77)。一九六一年の発足以来、観光客らの前で、こんぴら船々をはじめ数多くの民謡を踊ってきたエキスパートだ。
踊りの目的や形は変わっても、愛され、歌い継がれてきたこんぴら船々。
今年三月には、琴平高校(琴平町)の郷土芸能同好会が、イギリスで踊りを披露するというかつてない機会に恵まれた。
日英文化交流事業「Japan2001」などへの出演。三味線や太鼓のお囃子(はやし)に合わせた優雅な舞は、外国人らの観客を魅了、絶賛を博した。
「訪れた教会で踊ったときも、今までにないくらいの盛り上がりだった」。二年生の高畠由美さん(16)は、興奮気味にそのときを振り返る。
「踊りがリズムに乗ってきたら、気分はそう快」「三味線の軽快な音色が響いてくると、体が熱くなる」…。
踊り手と観客の両側から聞こえてくるこんぴら船々の魅力。時代や国境を超えて人々を引き付ける力が、この唄にはある。
文・末沢 鮎美(生活文化部) 写真・久保 秀樹(写真部)