滝宮の念仏踊り(綾南町、綾上町)

2000年8月21日

伝わるか神事の重み

 社叢(しゃそう)に包まれた境内で踊り組が定められた位置につき、ほら貝の合図で踊りが始まる。「ナムアミドーヤ」と節をつけて唱える念仏に合わせ、花笠(はながさ)をかぶり、陣羽織を身に付けた下知(げんじ)が大団扇(おおうちわ)をひらめかせて踊り出すと、農民らは手を合わせ、五穀豊穣を祈願する。

毎年8月25日に奉納される常例念仏踊り。かつての踊り役は世襲制で、伝統が厳格に守られていた(資料)
毎年8月25日に奉納される常例念仏踊り。かつての踊り役は世襲制で、伝統が厳格に守られていた(資料)

 毎年八月二十五日、綾南町滝宮の滝宮神社と滝宮天満宮に奉納される念仏踊りは、八八八(仁和四)年の大かんばつの時に讃岐国司の菅原道真が雨ごいを祈願したところ大雨が降り、農民が喜んで踊ったのが起源とされる。その後、千年以上も住民の手で脈々と伝えられてきた。

 踊りの中心となる下知は昭和三十年ごろまで世襲制がとられ、親から子、子から孫へと受け継がれた。「昭和の初めごろは、ほんまに厳しかった。親が『よし』といっても、地域の年寄りが踊らせてくれなんだ」。五十年近く下知を務め、念仏踊り保持者の認定を受けた有岡喜一さん(87)は戦前を振り返る。

 有岡さんの地域の踊り組・北村組では、孫の俊文さん(40)が下知を継いだ。しかし、綾南、綾上両町の十一組のうち、北村組のように世襲を続けているのはわずかだ。

昭和45年の念仏踊りで孫の俊文さん(左)と一緒に踊る有岡喜一さん(有岡さん提供)
昭和45年の念仏踊りで孫の俊文さん(左)と一緒に踊る有岡喜一さん(有岡さん提供)

 農民の暮らしに根付いた神事として執り行われた念仏踊りは、昭和五十二年に国の重要無形民俗文化財に指定されるなど、次第に文化財としての色彩を濃くした。一方、高度経済成長期を迎えて、若者の都市部への流出が進み、後継者不足に悩まされるようになった。

 「人は減るし、勤め人は増える。とにかく大勢に踊り組に入ってもらうことが大事」。綾上町の羽床上組の下知・岩岡和弘さん(60)は、伝統の継承には、地域の盛り上がりが欠かせないと力説する。

 岩岡さんは下知の家には生まれなかったが、約三十五年前にそれまでの下知から大役を譲り受けた。羽床上組では世話人を中心に広く地域の若者の参加を呼び掛けているという。

 岩岡さんは「念仏踊りを通して年寄りと若い者の交流が深まる。地域住民をつなぐ何よりの機会」と話す。一方、念仏踊りが「神事から行事へと変わっていく」と危ぐする声もある。

 「正統の踊りは崩したらいかん」。有岡さんは守るべき伝統の重さ、大きさを後継者に訴える。しかし、下知が大勢の若者に継承されることに反対ではない。「若い人は覚えが早い。千年を超える歴史をきちんと考えて、誇りを持って踊ってほしい」。

 神事の尊厳を保ちながら文化財として保存を続けていくことが、今後の大きな課題として突き付けられている。有岡さんが次の世代に寄せる期待は大きい。

文・靱 哲郎(報道部)