だんじり子供歌舞伎(白鳥町)

2000年4月24日

豆役者に宿る“芸魂”

 五月恒例の「だんじり子供歌舞伎」公演を直前に控えた白鳥町内の練習会場。同町本町小の一年から四年生までの六人が、額に汗をにじませ、何度も何度も舞台げいこを繰り返す。

伝統芸能を肌で感じる子供たち。本番を直前に控え、自然と緊張感が高まっていく=白鳥町内
伝統芸能を肌で感じる子供たち。本番を直前に控え、自然と緊張感が高まっていく=白鳥町内

 時は武田信玄と上杉謙信が争う戦国時代。謙信の娘、八重垣姫(やえがきひめ)がいう。「そなたは勝頼様でござらぬか」。訳あって身分を隠す信玄の子、勝頼が「戯(たわむ)れごと宣(のたま)うとも覚えなき身の上」と言い放ち、勝頼を恋慕う八重垣姫は泣き崩れる―。会場に大人顔負けの演技とせりふが広がった。

 豆役者たちが舞台を彩る子供歌舞伎の歴史は古い。白鳥神社に奉納する芝居として江戸時代末期に始まったという。以来、明治、大正、そして昭和三十年代まで隆盛を極めた。

 「そらあもう、地域挙げての行事で、公演を心待ちにするファンも多かったですよ」。保存会副会長の冨田拾弐子(じゆうにこ)さん(84)は当時を振り返る。演者となった子供は、町のヒーローだった。

 だが、地域が誇る子供歌舞伎も、テレビの登場など新たな時代の波が打ち寄せると、その姿を消すのに時間はかからなかった。昭和三十三年に幕を閉じ、五十年に一度だけ復活するが、後が続かなかった。

 時は流れた。「伝統は受け継ぎ、残すべき先人の財産」と、町内の有志らに芽生えた再興を望む機運が、平成五年に現実となった。再び、子供歌舞伎は地域に根付き、今に続く。年々注目度が高まり、反響も大きい。

平成5年の復活公演以来、「だんじり子供歌舞伎」は地域に根付き、年々注目度も高まっている。舞台の周りにはファンらで人垣ができるほどだ=白鳥神社、昨年5月の公演
平成5年の復活公演以来、「だんじり子供歌舞伎」は地域に根付き、年々注目度も高まっている。舞台の周りにはファンらで人垣ができるほどだ=白鳥神社、昨年5月の公演

 芸どころ白鳥の誇りと心意気が実を結んだ“復活劇”。しかし、昭和三十三年の最終公演から数えると、三十五年間もの空白が大きなつめ跡も残した。

 「白鳥には、残念なことに浄瑠璃、歌舞伎などの指導者がおらへんのです」。保存会後見役の倉渕政雄さん(66)は唇をかむ。「空白」は、伝統継承の土壌を奪ってしまった。

 現在、指導に当たるのは、小豆島肥土山農村歌舞伎の山本数雄さん(68)。「後継者不足は多くの地域芸能がそうであるように、最大の悩み。だが、ボランティア的な要素が強いので、無理強いはできないのですが…」と話す。

 歌舞伎に対する子供たちの関心が、ひと昔前と比べ薄れたのも事実。「歌舞伎ってなあに」。低学年の児童にとって正直な感想だろう。

昭和25年ごろ、隆盛を極めた「だんじり子供歌舞伎」。当時、演者となった子供たちは町のヒーローだった=白鳥町内(奈良坂春美さん提供)
昭和25年ごろ、隆盛を極めた「だんじり子供歌舞伎」。当時、演者となった子供たちは町のヒーローだった=白鳥町内(奈良坂春美さん提供)

 今年、舞台に立つ児童たちも例外でない。「歌舞伎というても、よう分からん。でも初めてやけん、やってみようと思った。せりふやしぐさは難しいけど、楽しい」。長袴(ながばかま)姿も堂に入る勝頼役の本町小三年、中浜康平くんは笑顔を見せる。

 伝統を肌で感じる子供たちと、それを優しいまなざしで見守る指導者たち。本番を前に“師弟”の心が一つになった。

 モミジのようなかわいい手をかざし、細い首を振りながら、迫真の演技をする豆役者たち。時の流れに抗(あらが)いながらも、芸どころにともった「伝統の灯(あか)り」は、今年も五月四、五の両日、四メートル四方のだんじり舞台を照らし出す。

文・藤田 敦士(生活文化部) 写真・鏡原 伸生(写真部)