金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第8話

奈与竹物語絵巻

叙情的センスが随所に

岡山大学文学部助教授・伊藤大輔

 奈与竹(なよたけ)物語は物語中で女主人公が読む和歌の文句を取って、くれ竹物語とも称したと言われ、また後世には鳴門中将物語という名でも知られた。鎌倉後期、後嵯峨院の時代、ある年の春三月、花徳門(かとくもん)の御壺(おつぼ)で行われた蹴鞠(けまり)を見物に来ていたある少将の妻が、後嵯峨院に見初められる。苦悩の末、妻は院の寵(ちょう)を受け入れ、その果報として少将は中将に出世する。人の妻である女房が帝に見出され、その寵愛を受け入れることで、当の妻はもとより、周囲の人々にまで繁栄をもたらすという筋は鎌倉時代になってできた物語の一類型であるという。

重文 奈与竹物語絵巻 第八段
重文 奈与竹物語絵巻 第八段

 しかし、奈与竹物語では、主人公の少将が鳴門の中将とあだ名され、妻のおかげで出世できたと揶揄(やゆ)される落ち―鳴門は良き若布(わかめ)の産地であり、良き若妻(わかめ)のおかげで好運を得た中将を風刺する―が付けられており純粋な作り物語というよりも、説話的なにおいも含まれている。

 絵巻はこの物語を八段に分けて描く。その表現はとかく形式化を指摘する声が大きいが、必ずしもそうとばかりは言えない。確かに冒頭、自然景の中での蹴鞠の場面では、堂々たる樹木の表現に比べて、人物たちは小ぶりでプロポーションも悪く、直線的な衣の線は折り紙を折って張り付けたような硬さと平面性を醸し出している。

第一段
第一段

 しかしこれが、第二、四、六段など、建築物の内部を舞台とする場面では、定規を用いた屋台引きの直線が作り出す空間の中で、直線を強調した強装束(こわしょうぞく)をまとった人物たちは、極めて自然な存在感を醸し出す。

 全体にこの絵巻の作者は建築物をはじめ、車輌や室内調度品などの器物の描写に優れ、やや太めの濃墨線で目に鮮やかにくっきりとそれらの「もの」たちの実在感を描き出す。衣服の紋様表現や襖(ふすま)の装飾なども、神経質な細かさを見せており、直線的な強装束をまとった人物表現や、少々厚手で濃厚な色彩感などと相まって、全体としてグラフィカルな感覚を前面に強く押し出した画風を創出している。

第三段
第三段

 一方で自然景のみを独立して見た場合、冒頭の蹴鞠の場の樹木表現や第七段の遣水(やりみず)の表現など、この画家が柔らかな自然の景物の描写についても決して劣っていなかったことが容易に分かる。院と少将の妻が語らう夜の庭に、ホタルを飛ばすなど、明けやすい夏の夜の風情を情感豊かに盛り上げる叙情的なセンスもあり、物語世界に対する深い理解もうかがわれる。

 全体に「狭衣物語絵巻」と表現上の共通点が多く見られ、おそらく十四世紀前半の作であると言えよう。

 この絵巻は白峯寺に隣接した崇徳天皇廟(びょう)・頓證寺(とんしょうじ)に伝来したものである。白峯寺は後嵯峨院の勅願所でもあったようで、そのような機縁で、絵巻が伝えられたのかもしれない。明治十一(一八七八)年四月、頓證寺堂宇を金刀比羅宮の境外摂社として白峯神社を創立したのを機に、本絵巻は当宮に伝えられることになった。

(2003年5月25日掲載)

◆狭衣物語絵巻(さごろもものがたりえまき) 狭衣物語は11世紀後半の作とされ、源氏物語に範をとった王朝恋愛物語。絵巻の制作は物語の成立から遅れ、14世紀になる。幕末の戦乱で被害を受け、現在絵が六図残るのみ。「奈与竹物語絵巻」と雰囲気は類似するが、人物の顔が引目鉤鼻(かぎはな)で描かれ、王朝風をよく残す点が特徴的。

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