金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第66話

生田久一「百鬼夜行絵巻」

ユーモラスな妖怪たち

国際日本文化研究センター教授・小松和彦

 金刀比羅宮には、たくさんの美術品に混じって「百鬼夜行絵巻」も伝えられている。絵巻は二種類二巻。一つはつい最近、本紙の取材を通じて新たに発見された琴陵宮司家伝来本(箱書には第八代別当の宥存(ゆうぞん)筆とある)、もう一つはそれを金刀比羅宮出仕の絵師が昭和九年に忠実に模写した生田久一本である。後者は、二年前の香川県歴史博物館の特別展「讃岐異界探訪」に出品されたものである。

金刀比羅宮所蔵の「百鬼夜行絵巻」(生田久一筆、部分)。左上に「ぬっぺらぼう」と思われる化け物が描かれている
金刀比羅宮所蔵の「百鬼夜行絵巻」(生田久一筆、部分)。左上に「ぬっぺらぼう」と思われる化け物が描かれている

 奥書から判断すると、この絵巻の原本は、天明五年(一七八五)、藤眠山という絵師によって描かれたらしい。眠山は製作の意図を、次のように記している。

 この絵巻の原本は藤原行秀が描いた「百鬼夜行之図」である。だが原本を見ることができなかったので、その粉本を参考にして、多くの人に楽しんでもらうため、私の意のおもむくままに描いた。

 藤原行秀は、室町時代(十五世紀中ごろ)の土佐派の絵師である。だが、ここに言われているような行秀製作の絵巻「百鬼夜行之図」は伝えられていないし、彼が「百鬼夜行之図」を描いたという記録も残っていない。しかしながら、この奥書から推測すると、土佐行秀の作とする絵巻が江戸時代後期には伝わっていたらしい。

 「百鬼夜行絵巻」と称する絵巻は多い。「百鬼夜行絵巻」と言えば、古道具が化けた妖怪(これを「つくも神」と言った)のたぐいが楽しげに踊りながら大路を行進している様子を描いた、大徳寺真珠庵所蔵本(室町時代中期)が有名である。これは土佐光信の作と伝えられ、美術的にも優れている。このため、従来ではこの絵巻がその後のこの種の絵巻の祖本ではないかとされていた。

京都市立芸術大学所蔵の「百鬼夜行絵巻」(部分)
京都市立芸術大学所蔵の「百鬼夜行絵巻」(部分)

 しかし、国文学者・田中貴子氏の最近の研究によって、それとは異なる系統の「百鬼夜行絵巻」が存在していたことが明らかになった。例えば、京都市立芸術大学所蔵の「百鬼夜行絵巻」は、妖怪化した動物や植物たちが荒れた屋敷から道具を路上に持ち出して踊り狂っている様子を描いている。この絵巻が、真珠庵本から派生したとはとても言えないのだ。

金刀比羅宮本のその他の場面
金刀比羅宮本のその他の場面

 金刀比羅宮に伝わる絵巻は、矛を担いで走り出す異形の者や大幣で白布の獣を追う赤鬼の場面から始まり、絵柄の順序は異なるが、その前半部分は真珠庵本と同じであって、明らかにこの本を模して描かれていることがわかる。ところが注目すべきことに、後半になると、真珠庵本の絵柄に混じって、京都市立芸大本に見られたのとそっくりの場面が描き込まれているのだ。このことは、金刀比羅宮本が真珠庵本系の伝本と京都市立芸大本系の伝本の双方を参考にして作られたものであることを物語っている。推測をたくましくすれば、京都市立芸大本の原本の作者は、土佐光信よりも少し早い時期の絵師である藤原行秀だったのかもしれない。

金刀比羅宮本のその他の場面
金刀比羅宮本のその他の場面

 さらに興味深いのは、金刀比羅宮本には、真珠庵本にも芸大本にもない、「ぬっぺらぼう」と思われる化け物などが新たに描き加えられていることである。これは当時の享受者に対する製作者のサービス精神がもたらした改変であって、じつはそこにこそ、金刀比羅宮本「百鬼夜行絵巻」の個性が見いだされると言えるのではなかろうか。

(2004年7月18日掲載)

国際日本文化研究センター教授・小松和彦氏

こまつ・かずひこ 1947年東京都生まれ。埼玉大教養学部卒。東京都立大大学院社会人類学博士課程修了。信州大助教授、大阪大教授などを経て97年から現職。作家・研究者ら23人による『日本妖怪学大全』を編集。著書に『憑霊信仰論』『妖怪学新考』『悪霊論』『神なき時代の民俗学』など。79年渋沢賞。専攻は文化人類学、民俗学。

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