金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第6話

十一面観音立像、荒彫の魅力

お顔立ちは左右非対称

京都造形芸術大学教授・井上正

 仏の顔は優しく微笑んでいるものと思い込んで、この観音像を拝みに行く人々は、まずその異常な雰囲気に戸惑ってしまうことだろう。目尻が少し上がり、強い眼光を感じさせる眼、左右へ張った鼻翼、インド風とでも言いたい分厚い唇、そしてさらに髪には荒々しい動きがあり、頸(くび)は太い。およそ優しさとは程遠く、野性的な不思議な精神性に満ちたお顔だ。

重文 十一面観音立像
重文 十一面観音立像

 近付いてよく拝すると、眉、眼、鼻、口のすべてがバラバラと右上がりの感じで、シンメトリー(左右対称)でないことに気付く。さらに、少し離れて上体とのつながりを見ると、頭部全体がわずかに左へ傾いている。そしてもう一つ、彫り口は荒彫(あらぼり)風でのみの痕が全身に見られる。ほんの一段階進めれば、美しい仕上げの肌となるのに、なぜかその一歩手前で刀を留(と)めている。

 現在の私の知見に基づいてこれらを解釈すると、まずこの像はもともと、ヒノキ(またはカヤ)の一材から両腕を含めて彫り出した素木(しらき)の仏であった。表面に銀泥で描いた胸飾りや釧(ぜん)、花文様をあしらった下半身の衣などの文様はすべて後世に補われたもので当初のものではない。

 私には次のような光景が眼に浮かぶ。この地に遊行した一人の僧が、神霊がよりつく聖なる古木に向かって一心に祈っている。やがて彼はその神木に仏が出現する様を感得し、その姿を仏工に命じて彫らしめる。直幹(ちょくかん)、曲幹(きょくかん)のかたちは何らかの表現で仏体に残り、神木の尊さは素木そのままとすることで保たれる。のみ痕は出現の奇跡が今なお進行中であることを示し、お顔が世に二つとない個性的な相につくられるのは、感得という秘儀の中で生まれたお顔だからである。このようにして、神仏への信仰が深く相和する習合(重なり合い)の世界の中で、この観音像は生まれた。

 この像はもと金刀比羅宮の別当寺金光院(こんこういん)の観音堂のご本尊であったという。インドの金毘羅神をこの象頭山に祀(まつ)ったのは、インドからの渡来僧で飛鉢(ひはつ)の法で有名な法道(ほうどう)仙人であろうという一説がある。とすれば、七世紀のことである。八世紀になると日本の神々は仏道に入り、解脱の境地に達することを願うようになった。神のこうした願いに基づいて、神域に寺ができ、仏像が安置されるようになる。

 この十一面観音立像の造形と技法上の特色は、おそらく八世紀にまでさかのぼる可能性が高いと思う。このころ、神は神であると同時に、衆庶(しゅうしょ)の一人として仏門に投じ、修行に専心した。この山の霊木で彫られた仏であれば、全国に散在する行基伝承をもつ霊木化現仏(れいぼくけげんぶつ)と手を結ぶことになる。日本の里や山に根を張った霊木に仏が宿って出現するという信仰こそ、日本列島に真に仏教が根付いたことを示す証しと考えてよいであろう。十年ほど前、金刀比羅宮宝物館でこの立像と対面し、私はこんな思いを巡らせた。

(2003年5月11日掲載)

いのうえ・ただし 1929年長野県飯田市生まれ。東京大学文学部卒。文化財保護委員会、京都国立博物館学芸課長。奈良大学、仏教大学で教授を歴任。現在、京都造形芸術大学教授、飯田市美術博物館長。著書に「興福寺東金堂の諸像」「日本美術史」など。アジア的視野に基づく日本仏教美術史の研究に取り組む。

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