金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第56話

思い出の琴平書道講習会

会派超え研さんに励む

書家・光宗道子

 こんぴらさんと言えば、昭和三十七(一九六二)年から十一年間にわたって開かれた書道講習会に、毎年欠かさず通ったことを懐かしく思い出します。私がかな書を始めて五年目が過ぎたころ。師・香川竹甫(ちくほ)先生に誘われてのことでした。

西村桂洲さん
西村桂洲さん
西谷卯木さん
西谷卯木さん

 琴平山文化会主催のそれは、金刀比羅宮の神職で篆刻家(てんこくか)でもあった喜田谷苑(こくえん)先生が企画。当時、中央で活躍されていたかなの西谷卯木(うぼく)先生、漢字の西村桂洲(けいしゅう)先生を迎えて、毎年八月に一泊二日の日程で開いていたのです。ちょうど、学生時代の林間学校、サマー合宿のようなもの。生徒のみなさんは県内をはじめ、岡山や徳島など県境を越えて集い、所属会派もさまざま。学生さんから学校の先生まで実に多彩な人が多いときで八十人ほど、少ないときでも三、四十人ほど集まっていました。

西谷卯木さんのしたためた蕪村の句碑「象の眼の笑ひかけたり山桜」=琴平町公会堂
西谷卯木さんのしたためた蕪村の句碑「象の眼の笑ひかけたり山桜」=琴平町公会堂

 会場は大門の横の金刀比羅本教総本部。明治十(一八七七)年に金毘羅講社の本部として建てられた建物です。その奥に百畳ほどの大広間があって、そこで朝から晩まで筆を握っていたものです。

 残暑の日差しの中、せみ時雨がにぎやかでしたが、象頭山の中腹に突き出したように建っているその建物の大広間は風通しがよく、非常に涼しかったと記憶しています。現在は立派な杉に成長しているようですが当時、北側には小杉の森が広がっていて、その向こうに讃岐富士や丸亀平野が見渡せ、眺望は抜群。時々、近くの宝物館や表書院・奥書院などに足を延ばして、円山応挙の襖絵(ふすまえ)や伊藤若冲(じゃくちゅう)の障壁画などを拝見させていただく機会にも恵まれました。

 結社や流派ごとの勉強会は当時もありましたが、それらを超えての錬成会は珍しく、全国でも例のない画期的なものでした。地方でありながら、中央の先生から直接ご指導を仰ぐことができたり、先生のお書きになる様子を実際に拝見できたのも、このときが最初で最後。私にとって非常に貴重な体験でした。

講習会が開かれた金刀比羅本教総本部の大広間
講習会が開かれた金刀比羅本教総本部の大広間

 それでいて、緊張感の漂う厳粛な講習会かと言えば、そうでもなく和気あいあいとした雰囲気。「おお、今年も来たか」「あら、先生。お久しぶりで…」といった温かいムードがありました。私もかなに飽きたら漢字の大書に挑戦したり。かなの西谷先生に漢字を見ていただいたり、漢字の西村先生にかなを批評していただいたりと本当に自由で楽しい講習会でした。これも庶民信仰の神様・こんぴらさんの醸し出すその場の雰囲気や両先生、集まったみなさんのお人柄によるところが大きかったのでしょう。

 どうしても同じ門下でのお付き合いに偏りがちですが、講習会では、さまざまな門下のさまざまな人と出会い、親しい関係を築くきっかけになったように思います。安部杏邨先生、大西きくゑ先生、廣瀬富美先生も当時の参加メンバー。講習会ではぐくまれた人間関係が、その後、県内の書道文化の発展に大きな役割を果たしていると言っていいのではないでしょうか。(談)

(2004年5月9日掲載)

書家・光宗道子氏

みつむね・みちこ 高松市生まれ。1949年に県庁入りし、県中央生活センター所長などを歴任。57年から、かなの香川竹甫に師事。69年改組第1回日展初入選、95、97年に日展特選受賞。99年日展出品委嘱。日本書芸院参事、県展審査員、四国書道展理事などを務める。85年から、かな書愛好者のグループ道香社を主宰。98年県文化功労者。

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