金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第50話

日本をみつめた高橋由一

江戸的であり現代的…

法政大学教授・田中優子

 私は高橋由一の作品を見ると、不思議な気持ちになる。江戸時代的であり、しかも現代的なのだ。そして油絵であるにもかかわらず、非常に日本的なのである。由一の絵は決して新しくはなかった。油絵はすでに江戸時代初期に描かれていた。遠近法は浮世絵師の得意分野であった。西欧画のもっとも大きな特徴である陰影法すら、江戸時代中期には銅版画や絵画の中に出現し、浮世絵にも使われるようになっていた。江戸時代には蘭画あるいは洋風画という分野がほぼ確立されており、由一はその歴史の中でこそ、画家・高橋由一になったのである。

現在の東京・江東区東陽町ののどかな風景を描いた「洲崎(品川沖)」=1878(明治11)年
現在の東京・江東区東陽町ののどかな風景を描いた「洲崎(品川沖)」=1878(明治11)年

 私は由一の描く海が好きだ。『洲崎(品川沖)』を見ていると、「久遠」という言葉を思いうかべる。スケールが大きく静謐である。じつはこの作品も、江戸洋風画の系譜であった。

 まず小田野直武が『品海帰帆図』(一七七四~七九)を描いた。遠近法、陰影法が使われ、船の影が水面に映る美しい作品である。それを模範にして二つの油絵ができあがった。ひとつは司馬江漢の『品川富士遠望図』(一七九八)である。石の廃材や身を寄せ合う子犬を描き入れ、ぬくもりのある絵となった。そしてもうひとつが由一の『洲崎(品川沖)』である。江漢と同じく油絵だが、富士山が消えた。立っていた帆が横にたたまれ、遠くに蒸気船が描き込まれた。その煙の先に雲がたなびく。数人の船頭はたったひとりになり、立ち働くかわりに横たわっている。静かで孤独な絵だ。

1876―77(明治9―10)年に描かれた由一の「海岸(江島児淵)」
1876―77(明治9―10)年に描かれた由一の「海岸(江島児淵)」

 由一の作品は江戸時代の洋風画のモチーフを駆使しながら、従来にはなかった孤独の情感を特徴としている。小田野直武の『日本風景図・江之島』は、由一の『海岸(江島児淵)』に変身した、と私は思っているが、七、八人いた人間はたったひとりの旅人となり、杖をついて海をみつめている。直武の絵は掛軸サイズの縦長で伝統的風景画がそうであるように、自然の大きさの中に点のごとき人間が呑み込まれている。それに較べ由一の描いた海岸では、見る者は旅人に自分を同化し、はるか彼方をみつめるのである。風景のかわりに人間が主人公になったのだ。

小田野直武「日本風景図・江之島」(三重・桑名市博物館蔵)
小田野直武「日本風景図・江之島」(三重・桑名市博物館蔵)

 静物画はさらに面白い。江戸時代には本草図譜というものがあって、由一の『鮭』とそっくりな図が高木春山『本草図説』に見える。実際に由一は『博物館図譜』の仕事をしている。静物画を自らのものにするために、由一は江戸由来の本草図譜を経由したのではないだろうか。しかしそこに、もうひとつ転換が起こった。『桜花図』『読本と草紙』『巻布』『豆腐』『燧具』など、由一は江戸の蘭画家が決して描かなかった日本人の日常を、ものを通して描いたのだった。

 蘭画家たちは花を花瓶や鉢に入れて静物画を描いたが、由一は桶に入れた。蘭画家たちはヨーロッパ人を描いたが、由一は日本人の職人を描いた。蘭画家たちは国籍不明の風景やものを描いたが、由一は日本の日常そのものを描いた。こうして明治の油絵は西欧から離れ、日本の生活と人間をみつめることから、始まったのである。

(2004年3月28日掲載)

法政大学教授・田中優子氏

たなか・ゆうこ 横浜市生まれ。法政大学文学部卒、同大学院修了。91年から同大教授。専門は日本近世文化、アジア比較文化。『江戸の想像力』(筑摩書房)で86年度芸術選奨文部大臣新人賞。研究対象は江戸時代の美術、生活文化のほか、東アジアと江戸の交流・比較研究など広範囲。著書に『江戸の恋』(集英社新書)など多数。

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