金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第45話

エコ・ミュージアムの提唱

生きた博物館が境内に

愛知大学教授・民俗学者・印南敏秀

 これまで文化財は高級文化を対象とし、博物館で保存・展示するのが一般的だった。今は文化財の境界が薄れ、対象が広がり、棚田すらが文化財となった。生涯学習が叫ばれ、文化財も地域活動に広く活用され始めている。文化財のありかたの変化が、博物館の活動にも変化をうながしているのだ。従来のままでは、今の社会や市民の要求に対応できないことが明確になってきたのである。

金刀比羅宮はさしずめ、庶民信仰の野外博物館。境内には、さまざまな形の燈籠が並ぶ
金刀比羅宮はさしずめ、庶民信仰の野外博物館。境内には、さまざまな形の燈籠が並ぶ

 金刀比羅宮は、早くから幅広い文化活動を続けてきた。高級文化としての文化財が多く、その多数が指定されている。あわせて四半世紀も前に、庶民の奉納物を調査し、国の重要有形民俗文化財の指定を受けている。奉納物調査はあっても、これほど多様で体系的な調査は、ほかの神社ではまだみられない。

 この調査で私が担当したのは、燈籠・玉垣・石段・石碑などの石造奉納物で総数は七百点を超える。調査では、近世からの金毘羅信仰の全国的な広がりや各階層から信仰されたことがわかった。また、金毘羅当局と信者を取り次いだ門前町の宿が、今の旅行代理店の役割をしていたこともわかった。門前町の宿を中心に大坂や丸亀などの宿や船問屋が、提携した参拝ネットワークである。

書院下石段の右側に並ぶ石燈籠。幕末から明治の奉納
書院下石段の右側に並ぶ石燈籠。幕末から明治の奉納

 金刀比羅宮の石造奉納物は、全国有数の質と量をほこる。その理由の一つに、当時の石工の中心地、大坂との結びつきがあった。石工と技術は大坂から丸亀、さらには金毘羅へと移動する。石工と石造物も、さきのネットワークに組みこまれていたのである。さらに、金毘羅街道や瀬戸内の港町や村にまで広がり、多くの石造物の奉納につながる。金毘羅本社は信仰だけでなく、文化センターだったのである。

 私は調査で歩きながら、石燈籠の美しさに心を動かされた。桜の馬場に並ぶ石燈籠には、統一された景観美がある。庶民の奉納で大きさがそろい、大坂石工の系譜が様式の統一を生み出した。旭社(旧金堂)付近には、個性豊かで巨大な石燈籠が並ぶ。豪商や商人仲間の奉納で、粋で華やかな町人文化がうかがえる。本宮(旧本社)付近は荘厳な雰囲気に合う精緻な石燈籠が並ぶ。大名からの奉納で、高級文化の厳選された素材と洗練された技がみられる。

旭社前の石燈籠と旭社の青銅製釣燈籠
旭社前の石燈籠と旭社の青銅製釣燈籠

 石燈籠からは、各時代の社会や文化に彩られた多様な美しさを発見できる。さらに日本の聖地を代表する境内と調和し、神聖な信仰景観が体感できる。まさに生きた博物館が、参道沿いに展開しているのである。

 大遷座祭を契機に、ここでお願いしたいのは、関連施設や奉納物を含め境内全体を博物館とする、フィールド・ミュージアム構想である。さらには境内を中核博物館とし、全国の分社や祠堂、常夜燈、道標などを衛星博物館とするエコ・ミュージアムへの展開である。金刀比羅宮と全国に広がる信者や奉納物を結ぶ、平成の新たなネットワークがつくり出せるのではなかろうか。

(2004年2月22日掲載)

愛知大学教授・民俗学者 印南敏秀氏

いんなみ・としひで 1952年愛媛県生まれ。武蔵野美術大学卒。77年から2年間、金刀比羅宮の庶民信仰資料調査に携わる。研究分野は民俗学、民具学。主な著書論文に「信仰の造形―金毘羅信仰を事例に」(『民具と民俗』雄山閣)「住吉信仰から金毘羅信仰へ」(『瀬戸内の海人文化』小学館)『水の生活誌』(八坂書房)などがある。

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