金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第42話

奉納された船絵馬の数々

神威を求めて各地から

溝淵和幸

 さぬきのこんぴらさんは海の神様である。故に古くから船主や船頭たちが航海の安全、通商繁盛を願って持ち船や乗り船の絵を描いた絵馬を奉納した。それは今も絶えることなく続いている。「神徳の数絵馬堂に入りきれず」と古川柳に詠まれているとおりである。私は先に、そのすべてを調査させていただいたが、そのうち、この欄にふさわしいと思う数点をご紹介したい。

 (一)明治二十一年、福井県の廻船問屋右近家の船頭たちの奉納したもの。北前船や洋式の廻船をさまざまな方向から描き、異彩を放っている。群船の絵馬は少なく、大阪の絵馬屋藤兵衛の作品の中でもすぐれた大作である。右近家の勢威のほどが知れ、遠隔の同家から奉納された金刀比羅宮のご神徳のほどがしのばれる。

(1)絵馬藤作の船絵馬(96・5×196・0センチ)。福井県の廻船問屋右近家の船頭の奉納
(1)絵馬藤作の船絵馬(96・5×196・0センチ)。福井県の廻船問屋右近家の船頭の奉納

 (二)岡山からのこんぴら詣での船。備讃瀬戸で嵐に逢い、乗客一同必死にこんぴらさんに祈る場面。ご神霊の金幣が左右上方から現れ、ご神威にすがり助けられた安堵と喜びの表情があふれる。

(2)海難絵馬(58・0×83・0センチ)。明治2年の奉納
(2)海難絵馬(58・0×83・0センチ)。明治2年の奉納

 (三)波間に沈んでしまった釣り船。風波は過ぎ去ったがうねりはまだ高い。こんぴらさんに祈る三人。この中の一人が描いた素朴な絵に、神を信ずる人のご神助への感謝の心が見る者の心にひびき伝わる。

(3)釣り船遭難の絵馬(48・5×61・5センチ、部分)。昭和7年6月の奉納
(3)釣り船遭難の絵馬(48・5×61・5センチ、部分)。昭和7年6月の奉納

 (四)画面に「広島県豊田郡乃ジ 三十四才中山八松 二十八才サチ 五才□□ 三十八才リウ 助ラレル」とある。八松の五歳になる子供(名前は不明)が荷舟から海中に転落した。八松と妻サチ、それにリウ(八松の姉か)の三人が助けようとするが、潮流が速く思うにまかせない。八松は必死になって舷から身を乗り出し、サチ、リウの二人が確保している。恐怖に泣き叫ぶ子供。誰の口から出たのか、「こんぴらさんお助けください」の悲痛な叫び。子供は、あわやというところで助かった。こんぴらさんのお山から飛んで来て、両側から力を貸してくれた二羽のカラス天狗。神を信ずる者には奇跡も起こったのである。白いカラス天狗を素朴に信じた人の奉納。類例のない絵馬。

(4)カラス天狗救難の絵馬(47・9×64・4センチ、部分)
(4)カラス天狗救難の絵馬(47・9×64・4センチ、部分)

 (五)安政二年五月、土佐津呂組鯨方の奉納。描法は極めてすぐれ、かつ大作である。土佐の鯨組は土佐藩中と津呂に各一組あり、隔年で漁をした。画面下部の網に追い込まれた鯨に鯨船の舳(みよし)の刃刺(はざし)(銛師(もりし))が力いっぱいに銛を投げる場面。何本もの銛を打たれ弱った鯨に刃刺が飛び乗り、短刀様のもので急所を刺す。画面の上方にその様子が描かれている。血しぶきを上げ、のたうつ鯨。沸騰する海。まことに勇壮極まりない。いかにも土佐沖の捕鯨らしい。

(5)土佐津呂組捕鯨の絵馬(135・2×167・2センチ)
(5)土佐津呂組捕鯨の絵馬(135・2×167・2センチ)

 同宮には昭和十三年、南極捕鯨船第二図南丸奉納の捕鯨絵馬もある。瀬戸内には、淡路島の鳥飼八幡宮に二面あるのみで、こんぴらさんのこの絵馬ははなはだ貴重だ。

(2004年2月1日掲載)

みぞぶち・かずゆき 坂出市在住。県教委在任中、そのほとんどを文化財保護行政に携わる。瀬戸内海歴史民俗資料館在職中の1977年から2年間、重要有形民俗文化財指定へ向け、金刀比羅宮の絵馬などの調査に携わる。著書に「瀬戸内の海上信仰の絵馬」「香川県の仏像と神像」「金毘羅庶民信仰資料集全3巻」(共著)など。

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