金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第40話

今昔・こんぴら参詣

大阪とは海でつながる

絵師・門脇俊一

 燧灘を見て少年時代を過ごした私にとって、海の向こうは憧れの地。九州や中国、近畿、そして関東へと足を延ばすことは、夢のまた夢…。逆にその地の人々にとっては瀬戸内海を渡り、四国の地に歩みを進めるのも、また長年の夢だったようだ。「一生に一度はこんぴら参り」と、昔の人はよく言ったものだ。

 実際、四国の玄関である香川はいまも、うどんツアーや八十八カ所巡りのお遍路さんら、喧騒から逃れ、安らぎを求めてやって来る都会の人たちでにぎわっている。心が穏やかになれる、そんな四国や香川、そして観音寺が、私は好きだ。

 四十三メートルの屏風絵「東海道五十三次」を発表したばかりの私は、「この続きを」と構想を温めていた。昭和四十六年のことである。讃岐と言えば、こんぴらさん。それにその年はちょうど金刀比羅宮で大きなお祭り(遷座祭)を控えていたそうで、ここは一つ、大阪からこんぴらさんまで、およそ二百キロの海上道中絵巻を四十三メートルの六曲四双(二十四間)仕立ての屏風絵にしてみようと思い立った。

 関八州の人たちは東海道を経て、京から淀川を下り、大阪・難波の金毘羅宿で休息。それから海路船旅で讃州・丸亀へ入るのが常だったという。十返舎一九の道中記『膝栗毛』ではないが、私の絵も、これで江戸・日本橋から讃岐のこんぴらさんまでつながることになる。

43メートルの屏風「金毘羅参詣道」(1971年、部分)
43メートルの屏風「金毘羅参詣道」(1971年、部分)
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 そんなことを考えながら、「本物のこんぴら参りを描いておこう」と文献を読みあさり、二カ月余りで一気に描き上げた。私は一筆書き。塗ったり、削ったりしないから、大きな作品でも仕上げるのは速い。

 それで完成したのが、この「金毘羅参詣道」だ。私は当時のこんぴら参りの様子を可能な限り、屏風絵の中で再現しようと試みた。これから始まるこんぴら参りに、ただ浮かれる庶民の表情だけでなく、大阪の町や商人たちの様子を克明に、また瀬戸内海で漁をして暮らす漁師たちの息遣いなども丹念に描いた。

その中に描かれた大阪・難波の金毘羅宿の様子
その中に描かれた大阪・難波の金毘羅宿の様子

 観光ガイドのような絵ではなく、サワラの流し網漁の様子など瀬戸内で生きる人々、生活を描くことができたと思っている。海の暮らしにこだわったのも、私が海を見ながら育ったせいかもしれない。

 さて、この屏風絵を眺めると、あらためて金刀比羅宮と大阪は、瀬戸内海でつながっていることに気付かされる。金刀比羅宮が多くの参拝者でにぎわったのも、このように人口の多い大阪と海でつながっていたからだろう。その海では、多くの人々の暮らしもあった。

 誰が数えたのかは知らないが、この「金毘羅参詣道」の中には、二千七百人以上の庶民の姿が確認できるそうだ。だが、こんぴらさんへの憧れは、もっともっと大勢の心をとらえていたことだろう。この絵を描いて、もう三十三年? 歳月の流れは速いものです。(談)

(2004年1月18日掲載)

絵師・門脇俊一氏

かどわき・しゅんいち 1913年観音寺市生まれ。独学で絵を学ぶ。33年から海軍兵として各地を転々、ヨーロッパ美術に接する。戦後、長崎で山小屋生活。50年銀座資生堂で初個展、61年阪急百貨店で版画による初個展。東京、パリなどで個展も。四国霊場や江戸の風俗をテーマにした作品多数。代表作に「不動明王」「皇居の四季」など。

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