金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第36話

金毘羅信仰の源流(上)

古代から神が海上往来

作家・フランス文学者 栗田勇

 はるかな青春時代を思うと、第二次大戦から戦後を瀬戸内海の沿岸で過ごした私は、あの潮の輝きを想い出さずにはいられない。朝夕の内海の島々の海峡を埋める黄金の波頭のゆらめき。夜になっても銀波でゆらぐ月の光り、島々の重なり合う影、その間をぬうように明滅する数知れぬ漁船の灯火。夜、船でゆくと船首の海は夜光虫の渦となってうねる。

瀬戸内海の斜光。塩飽の島々を背景にした瀬戸大橋と行き交う船。いまも海上交通の大動脈だ
瀬戸内海の斜光。塩飽の島々を背景にした瀬戸大橋と行き交う船。いまも海上交通の大動脈だ

 よく、この偉大な舞台のような内海を、自然は造ったものだと思う。房総や伊豆半島から見えるはるかな水平線が、無限の円弧を描く太平洋とも違う。鈍色の雲が低く垂れた寂しい日本海とも違う。

 瀬戸内には、海と私たち人間のドラマをはらむ象頭山が浮かんで見える。近ごろ、私たちは海を忘れているようだ。しかし、じつは海は太古から人間にとって、陸に匹敵する重要な文化の路であった。とくに瀬戸の内海は、地中海と同じく気候温和で海上生活者の文化圏が、縄文・弥生など歴史時代を遥かに遡る太古から形づくられていた。

「重要美術品 袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸」 讃岐出土と伝わるが、その他は不明
「重要美術品 袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸」 讃岐出土と伝わるが、その他は不明

 その核に金毘羅信仰がある。研究者によれば、広く中国の珠江河口の海上民、蛋民(たんみん)やビン族(びんぞく)につながる。北九州の宗像(むなかた)や大阪湾の住之江にも、海人族(あまぞく)が暮らしていた。

 漁業と潜水海女によって生活し、船上には屋根を張って海上で一家で暮らし、陸上には定住しない漁業民文化が、この瀬戸内海を根城に広がっていた。

 広くみれば、東シナ海上文化圏を形づくり、なかでも瀬戸内は、あの西の地中海・エーゲ海文明のように文化と信仰の濃厚な文化圏を形成していたという。

「平形銅剣」 象頭山榎木谷から1786(天明6)年に出土
「平形銅剣」 象頭山榎木谷から1786(天明6)年に出土

 古代文明は、現代より遥かに自然と密着していたので、超自然力を持つ神々を頼りとした。その古代信仰が、聖なるものの中心「聖地」を産んだ。瀬戸内のこんぴらは、古代から海人族はもちろん、日本に渡来した南方農耕文化人にとっても通路であり、足掛かりとなる海の回廊のシンボルであった。

 この海に広がる島々には、古代の神々の古い記憶が留められている。

 たとえば大三島(愛媛県)には大山祇神(おおやまつみのかみ)が祀られ、いまも日本総鎮守の氏神といわれ、伊勢天照大神よりも古い起源を誇り、戦前より日本連合艦隊は出撃に際し、必ず武運長久を祈願している。厳島も元来は、いつきまつる=斎(いつき)島と呼ばれ、山頂に岩座(いわくら)をつんだ弥山(みせん)があり、大潮の日には、船に御神体を乗せて海上を行来する有名な管弦祭が行われている。この渡り神の海上往来は日本の神々の御渡り神事の原型となっていて、その底流には遥か古代の神々が、海上を往来するものであったという古い記憶を伝えている。

 その第一はこんぴらさんである。江戸中・後期には、全国に張り巡らされた金毘羅講によって、はやり神のようにあの「ええじゃないか」で知られた大衆の狂乱的歌舞を伴った『お伊勢参り』に匹敵する『金毘羅参り』が行われた。その賑わいは、いまも全国に広がる「こんぴら船々

 追風(おいて)に帆かけて シュラ シュシュシュ 廻れば四国は 讃州那珂(なか)の郡(ごおり)」の歌に跡を留めている。ここには、太古の信仰が今日まで生きていることを偲ばせる。

(2003年12月7日掲載)

作家・フランス文学者 栗田勇

くりた・いさむ 1929年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、同大学院修了。『一遍上人―旅の思索者』(新潮社)で78年に芸術選奨文部大臣賞。99年紫綬褒章。主な著書に『ロートレアモン全集』(人文書院、68年)『栗田勇著作集全12巻』(講談社、86年完)『最澄 全3巻』(新潮社、98年)『漂民』(岩波書店、2001年)『道元・一遍・良寛』(春秋社、02年)『日本の心を旅する』(春秋社、03年)など。

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