金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第3話

高橋由一 読本と草紙

洋画界に新時代の息吹

大原美術館長・高階秀爾

 ペリー提督の率いる黒船の来航に始まる幕末の動乱とそれに続く明治維新という歴史の大きな転換期に、美術の世界でも西欧文明の成果を手本として絵画の新しい道を切り拓こうとした偉大な画家がいた。洋画界の志士と呼ばれる高橋由一がその人である。

 高橋由一は文政十一(一八二八)年、下野佐野の堀田藩の江戸藩邸で生まれた。家は代々武士である。由一も当然武家の子として育てられたが、生まれつき身体が弱く、武芸には向かなかったらしい。その代わり早くから絵画の才を示して、周囲の人々を驚かせたという。

 由一の絵画修業は、まず狩野派の門に学ぶことから始まった。これは当時の状況としては、ごく当たり前のことである。だが西欧世界との接触が彼の生涯を大きく変えた。舶載の石版画を見て、その真に迫った表現力に強い衝撃を受け、従来の日本の伝統的画法を捨てて西洋画法の修得に情熱を注ぐようになったからである。

 もちろん、その道程は容易なものではなかった。ひと口に洋画を学ぶと言っても、先生もいなければ絵の具や絵筆のような画材さえ、そろっていない。すべて最初から、いわば手探りで進んでいかなければならなかった。しかし眼の前の事物に対する徹底した観察眼と、何よりもその対象の手触りの感じまで再現しようとする迫真的な描写力によって、由一は日本の油絵創成期における忘れ難い名作を数多く生み出したのである。

読本と草紙
読本と草紙

 《読本と草紙》も、その記念すべき傑作のひとつである。取り上げられているのは、画面の上部を占める提燈と手習い草紙をはじめ、明治初年の学制改革によって登場して来た小学校用の教科書、鉛筆、メモ帳など、どこの家庭にもあるようなきわめて身近なものばかりである。羽子板やお手玉なども描かれているところを見れば、由一の娘が実際に使っていたものであろうか。

 このような日常的な卑近なものを絵画の主題とすること自体、それまでの花鳥風月の伝統とは一線を画した新時代のものであった。そこには何であれ、存在するものの本質に迫り、それを再現することこそが絵画の使命だという画家の強い信念がうかがわれる。

 実際、この作品の前に立つと、描かれたひとつひとつのものが、それぞれ確かな手応えを持った存在感で見る者に迫って来る。日常の生活では特に気にもとめず、何気なく見過ごしてしまうような平凡な日用品がこの画面では、慎ましやかに、しかし断乎として自己の存在を主張している。絵画の魔術と言うべきであろう。

 それと同時に、小学読本の端の方がめくれて皺になっている細部にもうかがわれるように、それらは実際に使われているものである。その背後には、子どもの生活を見守る画家の眼がある。存在の輝きとともに、画面に家庭の暖かみが感じられるのはそのためであろう。

(2003年4月20日掲載)

工事中の社殿ゾーンを見学する高階館長
工事中の社殿ゾーンを見学する高階館長(2002年8月22日)

たかしな・しゅうじ 1932年東京生まれ。東京大学卒業後、54年からパリ大学付属美術研究所で近代美術史を学ぶ。79年東京大教授、92年退官後、同大名誉教授。同年から2000年まで国立西洋美術館長。02年から現職。著書に「ルネッサンスの光と闇」「近代美術の巨匠たち」などがある。専攻は美術史。

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