金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第23話

左文字の高弟・国弘の代表作

明治天皇ゆかりの名刀

前銃砲刀剣類登録審査委員・中条新一

 日本刀の特色といえば、鋭利であることはもちろんだが、それ自体が美しさで包まれていることがより肝心である。気高い品格と鍛錬から生まれる強い力と、清澄な美しさが三位一体となって結実したものが名刀と呼ばれる。

 明治天皇は、刀剣に造詣が深かった。明治十四(一八八一)年十月二日、山形の米沢製糸場を臨幸された明治天皇が上杉家の名刀をご覧になるため、日程を一日延長させ、侍従を困らせたという逸話は有名だ。

 明治二十八年一月十四日、広島の大本営に滞在した際、学習院院長を務めていた田中光顕(たなかみつあき)が拝謁して、土岐家旧蔵の「古一文字助宗(こいちもんじすけむね)の太刀」を献上している。天皇は明治四十一年にその太刀に鼈甲柄(べつこうつか)のサーベル拵(こしらえ)を制作され、常にお手元に置かれていた。

重文 『短刀 銘 筑州住国弘作』
重文 『短刀 銘 筑州住国弘作』

 愛刀家であらせられた明治天皇は明治十六年四月十四日、金刀比羅宮に「筑州住国弘作(ちくしゆうじゆうくにひろさく)」(大正十一年四月十三日・旧国宝指定)の名刀を寄進されている。

 刀工・国弘(正平ごろ、一三四五年)は左吉弘(さよしひろ)の子といわれ、大左(おおさ)の直門とみられている。作風は短刀を得意としていた。

 国弘で現在、重要文化財に指定されているものは、金刀比羅宮所蔵の短刀のほかに、東雲(しののめ)神社(松山市)が所蔵する短刀の二口(こう)のみという貴重な名品だ。

重要文化財
短刀 筑州住国弘作(明治天皇寄進)
法量 刃長(はちよう) 九寸四厘(二七・四糎)
反り 七厘(〇・二糎)
元幅(もとはば) 九分三厘(二・八三糎)
元重(もとかさね) 一分八厘(〇・五四糎)
形状 平造(ひらづくり)、庵棟(いおりむね)、身幅広くわずかに先反りが見られる中間反りで重のしっかりとした大ぶりの南北朝姿。
鍛(きたえ) 板目(いため)が流れ、黒く澄んだような肌がまじる。
刃文 沸出来(にえでき)の、のたれ互(ぐ)の目がまじり、刃中に砂流が激しくかかり、刃が二段あるいは三段に分かれた段刃となる。
茎(なかご) 生(う)ぶ、目釘孔(めくぎあな)二、舟底形で筑州を細く、国弘を太めに切る。

 この短刀は刃中の働きが激しく、千変万化する華麗な刃文の中に、同工の最も優れた力量が遺憾なく発揮されている数少ない名品だ。

筑前左文字派の名工
 九州は日本刀の歴史上、刀工の発生が最も古い地域の一つだ。上代から日本と中国大陸との交通の拠点であり、国防の要所であった。従ってここに刀工をはじめ多くの工人がいたことは当然のことであろう。

 鎌倉末期から南北朝時代にかけては、相州正宗(そうしゆうまさむね)の影響を受けたと思われる鍛冶が各地にいた。筑前(福岡県)の名工「左(さ)」(通称大左、左文字とも呼ばれる)もその一人で、正宗十哲の一人に数えられる。「左」は左衛門三郎の略で、祖父は西蓮国吉(さいれんくによし)、父は実阿(じつあ)と伝わっている。

 元来、九州古鍛冶は最も古典的な作風が多く、名工「左」の出現によって、地刃ともに明るく冴えた新作風を樹立して、古典的な作風から脱却した。一門に安吉(やすよし)・国弘・吉貞(よしさだ)などの名工がおり、師風を受けて、優れた技量を示している。

(2003年9月7日掲載)

◆沸(にえ)と砂流(すなながし) 沸は焼き入れによってできる最も硬い鋼の組織で、微粒子が肉眼で見えるもの。刃縁に最もよくつく。砂流は刃縁、または刃中に砂地をほうきで掃いたように現れた縞模様のものをいう。

ページトップへ戻る