金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第15話

わが金刀比羅さん

自然環境と人が一体化

作家・藤本義一

 考えてみると十年毎に一本戯曲を書いている。十年前には北海道を舞台に『迷子の天使たち』を書いて、四国は松山を振り出しに巡演した。

 現在は明治の左甚五郎といわれた大阪の木彫師・桜井義国を主人公にした、二幕三場の舞台劇を書いている。この人は大阪府下の岸和田市にダンジリ祭りを復興させた人物だ。かなりの奇人であり、行動も仕事もケタ外れの人だが、この人が生涯にわたって信仰したのが讃岐の金刀比羅宮だったという。

 「わしは金刀比羅さんを信じてるんや。金刀比羅さんがわしを守ってくれはるのや」

 というのが彼の口癖だったと記録にあり、年一回か二回は泉州から讃岐に足を運んでいたようだ。

 彼は御祭神のふたかたに人生の全てを託していたのだ。木彫の文化と繁栄を大物主神(おおものぬしのかみ)に念じ、悲劇の生涯を終えた崇徳(すとく)天皇の無念さに深く同情したのだろう。この原稿の依頼を受けた時、私は彼の資料を整理していた時だったので、不思議な気持になったものだ。

歌川国芳 讃岐院眷属をして為朝をすくう図(部分)
歌川国芳 讃岐院眷属をして為朝をすくう図(部分)

 私は過去三度金刀比羅宮に行っている。三十九年前にテレビの連続ドラマの執筆のためにシナリオ・ハンティングした。清水次郎長一家を描くためで、小政の代参場面を撮影するためだった。後の二回はやはりテレビの旅もののレポーターとして訪ねている。この時に祭神の金毘羅大権現のルーツがインドのガンジス河に棲(す)む鰐(わに)を神格化したものだと知り、インドのクンビーラ(河の神)からきていると知った。その数年後に、東南アジアを中心にしたアニミズム(古代宗教)の流れを取材した最後に行き着いたのが金刀比羅さんだった。鳥虫木魚という自然の環境の中で生育するあらゆる生命が結集した宗教観のあらわれが、日本ではコンピラサンの愛称で呼ばれているのがわかった。

 黒潮に乗って南から北上した南方シャーマニズムの上陸地点がコンピラサンだとわかった時、人々が親しみのある呼び方をする意味は、自然環境と人間が一体化した時、そこに生命の根源を知り、生きていく上の喜怒哀楽を共にするという気持になるという一体感が生じるのがわかったのだ。

 二度目の時に男女二人の子供たち"お頭人(とうにん)さん"を取材しようとしたら、二人共すやすやと眠っていた。子供たちの無邪気な寝顔、安らかな息遣いに自然の大らかさが見られ、起こして質問する必要はなにもなく、その寝顔だけが十二分にコンピラサンの全てを語り尽くしているように思えた。他の祭事には見られない微笑ましい情景だった記憶がある。

 が、悲しいことに、もっと鮮明に記憶しているのは指合(さしあえ)神事の時に食べた讃岐うどんとか餡餅、それに玉子豆腐の素朴な味である。

 どうも、人間、食い気だけが一番目の記憶になるらしい。もうひとつ残念なことは、家人がこんぴら歌舞伎を観に行く時にどうしても都合がつかないことである。無念なり。

(2003年7月13日掲載)

作家・藤本義一氏

ふじもと・ぎいち  1933年大阪生まれ。大阪府立大学在学中、ラジオドラマ「つばくろの歌」で57年度芸術祭文部大臣賞。62年から放送作家として独立、テレビ司会者としても活躍。74年「鬼の詩」で直木賞。99年、阪神大震災で両親を亡くした遺児らの心のケア施設「浜風の家」を設立。著書に「元禄流行作家―わが西鶴」「掌の酒」など。

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