金刀比羅宮美の世界 題字・米今正一
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第59話 伊藤若冲 百花図(花丸図)

神秘で濃密な絵画空間
書家・光宗道子
武者小路千家官休庵家元後嗣・美術史家・千宗屋

 ◆せん・そうおく 1975年京都市生まれ。本名は方可(まさよし)。千利休を祖とする茶道・武者小路千家15代次期家元として2003年後嗣号「宗屋」を襲名。02年慶応大学大学院前期博士課程修了。現在、明治学院大学非常勤講師。著書に『やさしい茶席の禅語』(共著、世界文化社)、『ドッグギャラリー 犬の贈り物』(小学館)ほか。

伊藤若冲「百花図」(1764年、一部)
伊藤若冲「百花図」(1764年、一部)

 金刀比羅宮奥書院上段の間に描かれた「百花図」(花丸図とも)の作者・伊藤若冲(じやくちゆう)は江戸時代中期の京都の画家。いっぽう、私の生家・武者小路千家も、桃山時代より京都で根を下ろす茶の家。江戸期以降は代々の家元が讃岐松平家に茶道師範として仕えた歴史から、香川とはいまなお縁が深い。

 その重なる縁が呼んだのか、二〇〇二年のクリスマスイブ、およそ二十年ぶりに私は「こんぴらさん」に赴き、奥書院で件の作品と初めて対面した。目的は雑誌『BRUTUS』四国特集の取材。テレビコマーシャルの背景や宇多田ヒカルのプロモーションビデオに登場したりと、近年美術業界の外からも熱い視線が注がれる江戸時代の奇想画家の、知られざる大作を大々的に紹介するために、明治学院大学の山下裕二先生らと訪れ、その場で対談させていただいた。上段の間手前で、いつになく緊張気味な山下先生が「初めて観る日本美術の名品との久々の対面」と、しばし瞑目し、深呼吸され入室されたのが印象深かった。もちろん私も倣ってみた。

9月17日から12月12日まで特別公開される金刀比羅宮奥書院上段の間
9月17日から12月12日まで特別公開される金刀比羅宮奥書院上段の間

 上段の間は手前の襖を閉じると、襖はもちろん、奥の床貼付け壁から、框の上の小壁、違い棚の奥壁、庭側に面した障子の腰張りに至るまですべてが色鮮やかに蠢く花々に覆われ、一瞬その香気にむせ返りそうな錯覚を憶えた。百花図といわれるが実際その数二百一。紫陽花や蓮、鉄線、牡丹、菊、水仙と実に多様なバリエーションが、少しずつ姿態を変えながら反復し描かれている。

 いずれのモチーフ・描き方ともほぼ制作時期を同じくする「動植綵絵(どうしよくさいえ)」(宮内庁蔵)など、若冲の他の着色花鳥画に繰り返し登場するお馴染みのもの。落款や印章は伴わないものの、彼独特の「生理的曲線」があちらこちらに顔を出し、その真筆であることに疑う余地はない。特に紫陽花の花の輪郭を線ではなく、描き割の余白で表したり、蓮の葉に開いた、まるで覗き穴のような虫食い穴のかたちには、どうしようもなく滲み出るこの画家の対象に向けられた執拗な視線や、手の動きの痕を思わずにはいられない。

 若冲は同時代の多くの画家がそうであるように、はじめ狩野派の画法を学ぶが飽き足らず、その淵源である中国の宋元絵画の模写に励む。しかし、絵から学ぶ以上絵を越えることができないと気付いた彼は、描くナマの対象そのものを写すことでその真を描き取ろうとした、という。「物なる乎、物なる乎」とはそんな若冲が好んだフレーズ。“その囁きが聞えてきそうなほど真に迫った写生画の大作”というのは、いかにも「美術エッセー」にありがちの陳腐な所感だ。

 しかし実際の「花丸図」はその名が示すように、ひとつずつのモチーフが丸く収められている目に見えないフォーマットの源に、中国の南宋絵画の団扇形の画面が想定できる。そもそも折枝の花卉図(かきず)という画題自体が南宋絵画のお決まりのテーマ。本作はそういった古典作品に着想と骨格を得、そこへ半端ない対象への凝視体験を加えて、絵そのものに揺るぎないリアリティーを吹き込んだ過渡的な作品と位置付けられ、明和元年(一七六四)という制作年代も納得がいく。

 この息が詰まるほどの他に例を見ない濃密な絵画空間は、歴代別当たちの書斎であり私的な謁見の間でもあった。私は即座に、遠く十五世紀イタリアルネッサンス期のストゥディオーロと呼ばれる、封建領主たちがその城館に構えた小書斎を思い出した。遥かな時空を超え、この二つの空間は私の中で違和感なく結び付き、白昼夢のような印象を残すのだった。

(2004年5月30日掲載)


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