金刀比羅宮美の世界 題字・米今正一
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第20話 重文『広沢切 伏見院御集』

心のゆくままに颯爽と
出光美術館学芸員・別府節子

 ◆べっぷ・せつこ 東京生まれ。東京女子大学文理学部日本文学科卒。専門は日本書跡史。主な展覧会企画に「書跡名品展」「没後300年記念 芭蕉展」「書の名筆 高野切と蘭亭序展」など。本年10月25日から「漂泊の詩人芭蕉 風雅の跡」を開催予定。解説に『出光美術館蔵品図録 書』(平凡社)、『古筆手鑑大成』(共著、角川書店)。

颯爽と吹き抜ける秋風のように綴られている秋の歌の部分
颯爽と吹き抜ける秋風のように綴られている秋の歌の部分

 気取りのない伸びやかな仮名で綴られた和歌が並ぶ巻物、掲載部分(写真(上))にはちょうど秋の歌が書かれていますが、さらさらと心のゆくままに書かれたような文字には颯爽(さっそう)と秋風が吹き抜けるような清涼感があります。重文『広沢切(ひろさわぎれ) 伏見院御集(ふしみいんぎょしゅう)』は「古筆(こひつ)」という分野に属する作品です。

 古筆は江戸時代以前に書き写された和歌集や物語など、仮名書きのテキストの総称です。古筆の中でも、鎌倉時代ごろまでに写されたテキスト類は文字が美しく、多くの人が欲しがったため、桃山時代ごろから分割することが流行します。元は巻物や冊子だった古筆を分割した断簡を「古筆切(こひつぎれ)」といいます。「広沢」という名称の由来は分かっていませんが、「切」は断簡という意味です。

 「広沢切」が「切」になる前は、第九十二代の天皇、伏見院(一二六五―一三一七)の歌集でした。伏見院は、鎌倉時代後期の京極派という和歌のグループの中心的な歌人であり、また歴代天皇の中でも屈指の能書家でした。その伏見院が晩年になってから、今まで自らが詠んでメモしてあった何千首もの和歌を、春の歌とか恋の歌とか内容ごとに分類したり、ここはこうした方が良いと訂正したりしながら、書き写して数十巻かの巻物にまとめました。院はゆくゆくは自撰の歌集の編纂(へんさん)を企画していたと考えられ、この数十巻にのぼる和歌巻はその草稿段階の歌集だったのです。

重文『広沢切 伏見院御集』
重文『広沢切 伏見院御集』

 しかし、この自撰自筆の草稿本歌集は、おそらくは伏見院が他界したために浄書されることなく終わりました。その後、これら数十巻の草稿は、一巻が幾つもの長短さまざまな「切」になったり、異なる巻の断簡同士をくっつけて新しい巻物に仕立てたりしたので、元の草稿本の巻物の形を残すものは、宮内庁書陵部蔵の一巻以外はほとんど残っていません。

 それで、筆跡や和歌の内容から原形が伏見院の草稿歌集と考えられるものは、現在の形が金刀比羅宮所蔵のような巻物であっても、長短さまざまな断簡でも、総称して『広沢切 伏見院御集』と呼んでいます。金刀比羅宮所蔵の一巻は、春の歌六十八首と秋の歌三十二首を継ぎ合わせて、百首にまとめられた一巻です。

 さて、広沢切は古筆の中では大変ユニークな魅力を持った作品です。一般に古筆というと誰かの歌集を文字の巧い人が清書したものが多く、お手本のような美しさを好む人には愛されますが、逆に、書に人の頭や心の活き活きとした動きの跡を見ようとする人には、つまらないと映ります。

 その点、広沢切は元々、字の上手な伏見院が自詠の歌を自分で書いたために、連綿には流れるような自然なリズムがあります。また草稿のために、字の形や線の質に仮名独特のなよなよした雅さはなく、力強く颯爽とした趣があります。しかも和歌の所々に加えられた訂正には、伏見院のためらいや熟考の様子まで伝わってくるようで、古筆ファンは無論のこと、京極派の和歌を研究する人や書に自由な精神の動きを求める人々も愛好してやまない、鎌倉時代の古筆の最高峰といえる作品です。

(2003年8月17日掲載)


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