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ノックバットを握る手に自然と力が入る。「どうした。やる気あるのか。なぜ全力でできない」。グラウンドに熱い声が響く。
豊富な練習量に裏付けされた高いパフォーマンスで激戦を勝ち抜いた香川西。チームを率いて2年目の岩上昌由監督は、まだ27歳。選手に負けない運動量が自慢だ。
神戸市出身。兵庫の名門・報徳学園を卒業後、神戸学院大に進学。ともに、内野手、主将として活躍した。大学在学中には母校のコーチも務め、名将・永田裕治監督のもとでコーチ業を学んだ。
その永田監督を師と仰ぐ。「心の野球」を身上に熱く選手に語りかける指導術は、「全員野球」を掲げる岩上監督の考え方にも通じる。
岩上監督が試合中、選手の肩を抱いて話しかけるしぐさもそんな「永田イズム」の現れなのだろう。大会中、何度も永田氏に相談に乗ってもらった。そして、決まって言われたことは「初志貫徹。選手を信じろ」。さい配に迷いがなくなった。
その言葉を象徴したのが県大会決勝。九回二死、無走者から3点を追いついた。その時点で岩上監督は「この試合は選手のもの。わたしが動いたら負ける。任せよう」と思ったという。
延長十一回、無死一塁。相手投手が負傷し、その治療の間にベンチ前で円陣を組んだ。「まず盗塁、そして送って、勝負」。すべて選手からの進言。「よし、それでいこう」。見事に勝ち越しに成功した。
大学卒業後の1999年、香川西高に赴任。野球部のコーチに就任するとともに、選手が生活する旭寮の寮監も兼ねた。親もとを離れ、寮生活を送る選手の頼れる“兄貴”として寝食をともにしてきた。就任当時を「寮生活そのものの改善が必要だった。最初の1年は怒ってばかりだった」と振り返る。
野球の技術の前に、「社会に出ても通用する礼儀、規律」をモットーとする。それだけに、あえて厳しく指導した。
チームの和も重んじる。「ベンチに入れない3年生や、スタンドから応援してくれる部員の方が気になる」という。県大会後の練習でも、ベンチ入り外の3年生もレギュラーと同じメニュー。チーム内に「全員で戦おう」という姿勢を植え付けた。
それでも、「これまでで一番、練習をさせた世代。とにかく、野球に打ち込ませた。これで甲子園へ連れていけなかったらどうしよう」。県大会直前、そんな不安に襲われたという。
選手と寝食をともにし、一からつくり上げた「全員野球」。香川へ来て5年がたった。
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