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第4部 絶望から希望へ(2) デパートの最期(下)再就職「社員が先だ」 
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 「私にとってあの四年間は何だったんだろう」
 コトデンそごうの代表取締役常務だった三栖祥児さん(63)は、そう自問自答する。
 二〇〇一年一月に民事再生法適用を申請する前から、水面下で後継テナントとして百貨店との交渉に当たっていた。テーブルについたのは二社。先行していた高島屋には計九回通い詰めたが、条件面で折り合いがつかず、三月末に決裂した。
 代わって浮上したのが、銀行主導で交渉していた天満屋。基本合意に達したと発表したのは閉店の三日前、四月十二日だった。「ほっとした。やっと肩の荷が下りたという安ど感かな」。
 コトデン瓦町ビルはリニューアルし、高松天満屋として九月一日にオープンした。

学生に就職指導をする三栖さん。「個性に合った就職先を見つけてあげたい」=高松市上天神町、穴吹工科カレッジ
学生に就職指導をする三栖さん。「個性に合った就職先を見つけてあげたい」=高松市上天神町、穴吹工科カレッジ

 コトデンそごうには閉店時、約三百三十人の社員がいた。そごう、琴電からの出向組を除くと約二百六十人が働き口を失った。うち、高松天満屋に採用されたのは二百二十人程度。他の職種を志望した二十人ほどを、銀行員時代のつてを頼り、あちこち走り回って再就職の話をつけた。
 妻には「あなたはこれからどうするの」と問われたが、「まあ待て。社員が先だ」と説き伏せた。わが身の振り方に思いを致したのは、ほとんどの社員の再就職のめどが立った後。
 出身の銀行からは関連会社を紹介された。それは一日中、デスクに向かう事務職だった。「外には出にくいだろう」と気を使ってくれたのかもしれないが、性に合わなかった。
 「四年間回り道をしたと思って力を貸してほしい」。迷い悩んでいた折、銀行で融資を担当していた穴吹学園の理事長から、人を介して誘いを受けた。
 ありがたかった。「経験を生かし、ここで頑張ることで少しでも社会に貢献したい」。
 〇一年十一月から顧問として、グループの専門学校六校で学生たちの就職を世話する。就職実務の講義や個別面談による指導のほか、学生と一緒に会社訪問をすることもある。
 テレビや新聞に連日出ていたから、訪問先ではみんな顔を覚えてくれている。「大変でしたね」「ご苦労さまでした」。ほとんどの人がそうねぎらってくれた。「『コトデンそごうを駄目にしたくせに』と言う人がいてもいいと思っていたのに」。たまらなくうれしかった。
 飲食店や病院、電車の中で、コトデンそごうの元社員に思いがけず出会う。新しい職を得て張り切っている姿に、人目をはばからず、何度大声で喜び合ったことか。「よかったなあ」。
 穴吹学園に勤め始めてもコトデンそごうの残務整理は残っていた。民事再生の手続きが終わったのが〇一年十一月十六日。そごう本体を相手に未払い債権の返済を求めて提訴し、自ら法廷にも立った。会社を清算したのは〇三年夏になっていた。
 「残念というか無念ですよ。でも、私がいたから琴電の電車は走っている、というくらいに思っています。そうでもないとあの仕事はできなかった」
 コトデンそごうには納入業者が約八百八十社あり、三百万円を超える部分の債権を放棄してもらった。中には倒産した業者もいる。「大変な迷惑を掛けたという思いは片時も忘れたことはありません」。
 高松天満屋には今もよく足を運ぶ。「うちの学生が随分お世話になっていますから」。すると、コトデンそごうから引き継がれた店員が、各フロアで「お元気ですか」と声を掛けてくれる。「頑張れよ」と応える。
 「どうしても天満屋さんには頑張ってもらいたいんですよ。ネクタイ一つにしても、やはり天満屋さんで買いますね」
 瓦町の灯を二度と消してはならない。デパートの最期をみとった者として、そのことの重みを誰よりもかみしめている。

(2004年2月3日四国新聞掲載)

 
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