青い鳥さがして
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第2部 ドラフト1位を背負って(16) 番外編 選ばれし男たち 挫折越え開けた人生 
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 かつてプロ野球選手は子供たちが最も夢見た職業だった。しかもトップの評価である「ドラフト一位」でとなると、絵にかいたような栄達の極みだろう。
 しかし、肩書だけで生きていけるほどプロの水は甘くない。主力として活躍し、球史に名を残す選手は一握りにすぎず、多くは不本意な成績のままひっそりとユニホームを脱ぐ。そして第二の人生を探し求める。

ドラフト1位の肩書を重荷に感じた時期もあったが、得難い経験と誇りは第二の人生の糧になっている
ドラフト1位の肩書を重荷に感じた時期もあったが、得難い経験と誇りは第二の人生の糧になっている

 永遠には続かない幸せ。はかない運命。ジェットコースターのような人間ドラマは私たちの人生の縮図にも映る。「ドラフト一位を背負って」を副題にした年間シリーズ「青い鳥さがして」第二部は、そうした思いを起点にスタートした。
 一位指名を受け、厳しい勝負の世界に飛び込んだ県出身者は六人いる。うち三人が巨人、一人が阪神と東西きっての人気球団が並ぶ。取材班は石床幹雄(55)、小坂敏彦(55)、白井一幸(41)の三人に会うことができた。
 今回、取材はかなわなかったが、他の三人とは大森剛(35)、三野勝大(31)と現役の矢野諭(25)である。経歴と近況について紹介しておきたい。
 大森は左の長距離打者として高松商高一年で甲子園に出場、慶応大では東京六大学リーグの三冠王に輝いた。一九八九年のドラフトで巨人から一位指名を受け入団。プロ人生の絶頂は九六年の日本シリーズだったろう。第一戦で九回に起死回生の代打同点2ラン、先発で起用された第四戦でも駄目押しのアーチをかけた。
 九八年シーズン途中に近鉄にトレードされ、翌年限りで引退。現在は巨人に戻ってスカウトを務める。自らの夢を受け継ぐ次代のスター候補生を探し、各地を駆け回っている。
 三野は丸亀商(現丸亀城西)高から東北福祉大に進み、恵まれた才能が開花、大学球界屈指の速球派右腕に育った。大学生、社会人に逆指名制度が導入された九三年のドラフトで巨人入りした。九九年シーズン途中に横浜に移籍し、二〇〇一年限りで退団。
 通算成績は登板五試合だが、六回で11奪三振の記録に「未完のドクターK」の片りんがのぞく。現在、東京で新たな夢に向かって歩みを始めている。
 矢野は綾南中から愛媛・帝京五高に進学、エースの座をつかむ。九六年夏の県大会決勝で、同年に「奇跡のバックホーム」で全国制覇した松山商高に惜敗するが、日本ハムから指名された。
 一年目の九七年にプロ初登板初先発で初勝利。高卒新人では九年ぶりの快挙だったが、故障にも泣かされて翌年以降勝ち星から遠ざかり、復活をかけた道のりが続いている。〇三年シーズンは二軍で七試合に登板し、一敗(二十七日現在)。
 このほか、高校時代を県内で過ごした一位入団選手に尽誠高出身の伊良部秀輝(34)=ロッテ、米ヤンキースなど、現阪神=、大沼幸二(23)=西武=、寒川高出身の西村龍次(34)=元ヤクルトなど=がいる。
 選ばれしプロ野球人の半生をモチーフに、何に光を当てようとするのか。せんじ詰めれば、栄光に続く挫折、名声を背負ったその後の生き方ということになるだろうか。
 本編で取り上げた石床、小坂、白井の三人は、苦い記憶をも包み隠さず語ってくれた。透徹した穏やかなまなざしは、光と影を乗り越え、酸いも甘いもかみ分ける高みに至ったからこそであったろう。重い響きを帯びた言葉の節々に、明日をも知れぬ社会と向き合う私たちにも通じる示唆が含まれていた。
 彼らは特別な人間ではない。その人生もまた小さな幸せさがしの旅である。(文中敬称略)
      =第二部おわり=
    ◆    ◆    
 黒島一樹、谷本昌憲が担当しました。

(2003年5月28日四国新聞掲載)

 
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